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(肉体的に)痛い思いをして反省しました

2015/03/13
尾藤誠司(東京医療センター)

 1月末になんと坐骨神経痛を発症してしまいました。まだ左足がジーンとしびれているのですが、とりあえず生活に支障は無くなってきました。そして、この経験もまた自分の医師としてのあり方を考え直す経験でしたので振り返ってみたいと思います。

とんでもない痛み
 振り返ると7~8年くらい前まで腰痛+頭痛持ちだったんですよね。もともと側弯があって頭痛と肩こりが慢性的にあったのです。枕や布団などをいろいろと試した結果、あるメーカーの「整圧布団」(ウレタン性の、表面がぼこぼこしたやつ)なるものに出会いまして、大変高い買い物だったのですが、その布団に切り替えてからはすっかり頭痛・肩こり・腰痛と無縁になっていました。いい買い物でした。

 しかしながら、それはゆっくり忍び寄って突然顔を出しました。1週間ほど前から「なんか右の腰が痛いなあ」と感じていたのですが、未明に突然とんでもない右大腿外側の痛みで起きました。私は過去に尿管結石もしているのですが、その時の痛みが私にとっての「10のうちの10」でした。

 しかし、今回の痛みはたぶん尿管結石の時の痛みを軽く上回っていると、少なくともその時は感じました。結局、その日は痛みのために寝ることも座ることも立つこともできず、1日中風呂の中で浮かんでいるという選択をしました。妻が「救急車を呼んだら?」と言ってくれたのですが、本人としては命に別条がない状況だとは分かっているので、ERに行ったとしてもまあろくなことにはならないだろうと気が遠くなりながらも結局家にいました。朝になって病院に「腰痛のために欠勤します」と連絡したら、「えええ?ビッシーが腰痛で欠勤?それどんだけ!?」と噂になっていたようです。

医療者は痛みに対して鈍感である
 それから自分が医者としてならまあ出さないであろうという物量(保険適用範囲内ですよ)の痛み処方を出してもらい、何とか翌日から車椅子での勤務を始めることができました。薬ってやっぱりありがたいですね。そして自分がERで常々行っていた医師としての処方を大きく反省したのです。カロナール400mg屯用処方していた俺、どんだけ失礼なやつだよ! 効かねえし、みたいな。

 ERを訪れる人と一般外来を訪れる人の大きな違いの一つは「その人が命に関わるような医学的状況にある度合いが違う」ということだと思います。しかしもう一つの大きな違いは「その人がとにかく今何とかしてほしいというほど苦しんでいる度合いが違う」ということです。

 まあ、こんなこと患者の目線から見れば当たり前なのですが。そして、それほど苦しんでいる人は結果的に命に関わる病気を持っている場合が多いということなのでしょう。すなわち、患者は「これは大変な病気になったかもしれない……」という意識でERを訪れるより、「このつらさは明日の朝まで我慢できない……」という意識で訪れるのが普通だということです。こんな当たり前のことについて、今回のエピソードで改めて気付いたのです。

 ERで、「急激にやってきた苦痛に対処する」という行為は後回しになりがちです。なぜ後回しになるのかといえば、苦痛への対処が遅れたところで死ぬわけではないからです。その意味では、心筋梗塞のときに処方するモルヒネなどは別の目的で処方されるものです。

 死ぬわけではないどころか、痛がっている患者の苦痛を取ることは診断において適切な行為ではないと多くの医療者は信じています。急性腹症などにおいて、来院早期に緩和的な処置を行うことでその後の診断精度や緊急手術などの判断に悪影響は出ないということが臨床研究の結果でもわかっていますが、それでも実際の救急現場では苦痛の除去よりも正確な診断が優先されがちです。

連載の紹介

尾藤誠司の「ヒポクラテスによろしく」
医師のあり方を神に誓った「ヒポクラテスの誓い」。紀元前から今でも大切な規範として受け継がれていますが、現代日本の医療者にはそぐわない部分も多々あります。尾藤氏が、医師と患者の新しい関係、次代の医師像などについて提言します。

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