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「胃瘻はよくない」がおかしなことになっている

2014/12/05

 いつもの私の文章はなんかふわっとしているのですが、今回は結構具体的なことについて書いてみたいと思います。胃瘻の話です。

 当院に限らず、病院に入院する患者さんの多くが85歳を超えていて、入院後自力で食事を摂取することができなくなってしまう方が少なくありません。入院後、人工栄養療法の開始について検討しなければならない患者さんは本当にたくさんいらっしゃいます。そのような背景で、ここ数年医療者の中でまことしやかに言われている「胃瘻はよくない」というメッセージが、医療者側に何だか残念な認識で広まっている気がしてなりません。そのことについて書かせて下さい。

「胃瘻はよくない」の経緯
 私の理解では、「胃瘻はよくない」というメッセージは、自分の力で食べ物を食べることが出来なくなった患者さんに対して、「食べられないのなら胃瘻を作って栄養を提供するしかない」と短絡的に考えてしまうことがよくない、というものであったはずです。

 確かに、1990年代から2000年代にかけて、「患者が食べられなくなったので胃瘻をつくった」ということが、あまり深い倫理的な考察もなされず行われていたと私も思います。そして、そのような状況が、患者の選好を無視したり、人間としての尊厳に対する配慮が足りない行為として批判されていることについてはその通りだと思います。

 一時的にしろ永続的にしろ、年齢を積み重ねて体の機能が弱ってきている高齢者に対して、命をつなぐことを最上の価値においてしまい、何でもかんでも人工的な医療介入を進めていくことは人権蹂躙です。その意味で、「食べられなくなったら何でもかんでも胃瘻を作ればいいという発想は、患者の利益にならないことがしばしばある。だから、自分の口から食べられなくなってきた患者を前にした時、患者にとって最善の利益は何か?と問い、その上で医療に何が出来るのかについてしっかり考える必要がある」ということが「胃瘻はよくない」というメッセージの意味なのだと私は思っています。

 最近の状況を見てみると、確かに臨床現場で倫理的な意思決定に関する意識は大きく高まった気がします。病棟では、多職種によるカンファレンスが行われるようになり、老衰が進み、経口摂取が不可能になりつつある患者さんに対して、人工栄養を開始しない選択があるという前提で意思決定への議論が行われるようになってきました。

 さらには、その選択をした上で、在宅や慢性期施設での看取りも積極的に行われるようになってきました。このような傾向は、大変素晴らしいことだと感じています。

連載の紹介

尾藤誠司の「ヒポクラテスによろしく」
医師のあり方を神に誓った「ヒポクラテスの誓い」。紀元前から今でも大切な規範として受け継がれていますが、現代日本の医療者にはそぐわない部分も多々あります。尾藤氏が、医師と患者の新しい関係、次代の医師像などについて提言します。

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