最近、医療安全に関連したシンポジウムや講演の依頼を受けることが多くなってきました。ちょうど今年は、個人的にも医療安全に大変関心が強くなっていることもあり、色々な人達とこの分野のテーマで議論するのは大変勉強になりますし、刺激も受けます。ということで、本日は「医療事故は『ウルトラマンのしりもち』に似ている」という話から始めてみたいと思います。
正義の味方が起こす有害事象
過去にブログで書きました“「平成仮面ライダー」に現代医療者像を思う”(記事はこちら)の時にも少し触れましたが、かつての医療専門職のロールモデルは「絶対的に正しい人」、すなわち昭和の仮面ライダーやウルトラマンのような存在ではないかと私は思っています。
特にウルトラマンは、悪い怪獣によって地球人が大変な危機に陥っている時にさっそうと現れ、悪者をかっこよく退治し、そして寡黙に去っていくというイメージが、少し前までの医療専門職像と重なるのです。そんなウルトラマンは頼りになる正義の味方ですが、地球人を守るために怪獣と戦っていると、たまにしりもちの1つや2つ、ついてしまうわけです。そして、大きなウルトラマンがしりもちをつくと、当然のように多くのビルが潰れてしまいます。
ウルトラマンのしりもちによってビルを壊されてしまった人にとってはたまったものではないのですが、ウルトラマンと地球人の間には「正義」という名の「権威勾配」があるので、「地球守ってやってんだから、ビルくらい壊れたところでごちゃごちゃ言うな」というような暗黙の理屈がそこに成立しているように思います。
一方、人々の多様な価値観を尊重しながら社会が構成されているこの現代において、このような正義の権威勾配はむしろ危険な発想にもつながります。現在のガザ地区における大変な状況をみればそれは明白ですが、正義を背中にしょって何らかの行動をしている人たちは、自分の正義について常に疑問を発し続ける必要があると私は考えます。そして、自分の正義の下で泣いている人がいるかどうか、その悲しみに対して自分たちはどういった責任を感じ、どのような行動を起こすべきかについて、考え続けなければなりません。
誰の安心?
私は、今の医療安全行動が持っている根本的な問題点が、この点にあるのではないかと考えています。すなわち、「完璧に正しいことを、ルール通り順守する」ということを安全行動のすべてであると考えることに対する懸念です。
第一に、「完璧に正しいことを、ルール通り順守する」ことを第一義化してしまえば、「プロセスさえ守っていれば自分は正しい」という理屈を医療者が生み出しがちになるということです。感情も含めて人を相手とするサービスである「医療」は、その場の空気や状況を察知してフレキシブルに対応することを必要とされる場合がむしろ大半です。
また、ある人にとっては正しいと認識される行いが、違う人にとっては大変不適切な行いだと認識されることもあります。そのような際に、結果的に患者にとって望ましくない選択がなされたとしても、医療者側が自分の正しさから譲歩しなければ、その結果は患者にとって不利益となる可能性もあります。
例えば、クリニカル・パスの運用において。医療者はバリアンス(予想外の経過や結果が出ること)が発生することを避ける傾向にありますが、留置されているカテーテルに患者がとても強くストレスを感じていて、早く抜去しても有意な危険を生まないのであれば、設定時期よりも早くカテーテルを抜くという選択をもっと積極的に考慮すべきだと私は思います。
反対に、マニュアル通りに物事を進めていたとしても、明らかにうまくいっていない場合、その状況を中断しないことで、患者をより危険な状況に陥れてしまうことも私たちはしばしば経験します。そんな時、あえて権威勾配に逆らって「ここは撤退すべきです!」と進言できる、もしくは、そのような進言を受け入れられる環境が、より必要ではないかと私は感じます。
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著者プロフィール
尾藤誠司氏(東京医療センター臨床研修科医長)●びとうせいじ氏。1990年岐阜大卒。国立長崎中央病院、UCLAなどを経て、2008年より現職。「もはやヒポクラテスではいられない 21世紀 新医師宣言プロジェクト」の中心メンバー。

連載の紹介
尾藤誠司の「ヒポクラテスによろしく」
医師のあり方を神に誓った「ヒポクラテスの誓い」。紀元前から今でも大切な規範として受け継がれていますが、現代日本の医療者にはそぐわない部分も多々あります。尾藤氏が、医師と患者の新しい関係、次代の医師像などについて提言します。
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