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「ゼク」「ステる」「ムンテラ」…ヘンテコ和製独語が今も使われる理由

2012/10/11
尾藤誠司

 我々が普段から医療現場で使っている言葉には、“ミステリアス”なものが多いと思いませんか? 例えば、「血液検査の数値が上がっている」という言葉。普通の人が聞いたら「やったあ!数値が上がって健康になっている!」と感じると思うのですが、医療の世界では「上がっている」状態は大概ろくなことを意味していないので、あまり喜ぶことはありません。

 代表的なのは、「ヘンテコ和製ドイツ語」がなお第一線で使用されている、カルテ用語です。ドイツ語で記載されることがほとんどなくなった現代医療においても、微妙な形にアレンジされた変な言葉が数多くありますよね。今回はそんな「ヘンテコ和製ドイツ語」についてのお話です。
 
 先に言っておくと、私のメッセージは「言葉は正確に使用すべき」ということではありません。基本的に私は言葉の正確性についての頓着はありません。総合医でも総合診療医でもプライマリ・ケア医でもコンビニ医でも、その辺りはどうでもいいと思うタイプの人間です。

 ただ、例えば若い医師が私に「XX号室のAさんステっちゃったんで、これからゼクのムンテラしてきます」と言ってきたとしたら、私は相当ヘコむと思います。「ステる」「ゼク」「ムンテラ」、これらのヘンテコな和製ドイツ語はいまだに多くの医療施設で使用されていますし、若い医師や看護師もよく使っています。

 なぜ、これらのヘンテコ外来語がいまだに医療機関の第一線で頻繁に使われているのか? 一言でいうなら、これらの言葉を日本語で表現することが医療専門職として「キツイ」と感じるからなのではないか、というのが私の考えです。以下、1つずつ考えていきましょう。

●「ステる」:原語 Sterben ⇒「死亡」「死亡する」の意味

 「ステった」という言葉を私が初めて聞いたのは、医師になって間もない頃でした。この言葉が「人が亡くなったこと」を意味すると知った時、死亡という言葉をもし回診などの公の場で使うとき、他の患者がわからないようにするための一種の暗号なのだろう、と私は考えました。おそらく、この意味も少なからずあるのだと思いますが、その後、私自身もほどなく「昨日なんと2人もステっちゃったんですよね」と、この言葉をとてもよく使うようになっていました。

 病院において、死は日常の出来事です。しかし言うまでもなく、人の死はその人の人生の中でも最も大きなイベントの1つです。さらには、医療者、特に病院に勤務する医療者にとって、人の死は可能な限り避けるべきこととして認識されています。

 そんな人の死について、「死ぬ」「亡くなる」という直接的な言葉で表現することは重すぎると、医療者は無意識の中で捉えているのかも知れません。「ステる」という業界的な記号に変換すること、さらには「ステっちゃう」というより軽い表現に置き換えることで、なんとかこの重い体験を自分の中で薄めているように思います。

●「ゼク」:原語 Sektion ⇒「病理解剖」の意味
 
 これは主に医師の間で頻繁に使われる言葉です。病理解剖を日本語で直接表現しない医師の心理について、私は私なりになんとなく理解しています。あまたの画像検査等の進歩によって、最近では病理解剖を行う頻度も低くなっており、またその目的の中で研究的要素が占める割合は小さくなってきています。

連載の紹介

尾藤誠司の「ヒポクラテスによろしく」
医師のあり方を神に誓った「ヒポクラテスの誓い」。紀元前から今でも大切な規範として受け継がれていますが、現代日本の医療者にはそぐわない部分も多々あります。尾藤氏が、医師と患者の新しい関係、次代の医師像などについて提言します。

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