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今のインフォームド・コンセントはおかしい!

2012/02/22
吉村馨太

「今のインフォームド・コンセントはおかしすぎる!」という思いから始まった、患者と医療者で「ともに考える」インフォームド・コンセントの手引き。こちらからダウンロードできます。

 「もはやヒポクラテスではいられない(もはヒポ) 21世紀新医師宣言プロジェクト http://www.ishisengen.net/ 」とともに、今年度心をこめて進めていた別のプロジェクトに、「患者と医療者が共用で参照可能なインフォームド・コンセントの手引書づくり」がありました。このたび、ようやくこの渾身の手引書が完成しましたので、今回はこの紹介をさせてください。

 このプロジェクトを始めたきっかけは、ごくシンプルなものです。「今のインフォームド・コンセントはおかしすぎる!」ということ。皆さんも、おかしいと思っていますよね?

 私はよく、うちの病院の研修医たちに「インフォームド・コンセントの目的とは何か?」と聞いています。すると、研修医は「患者にとって最適と考えられる診療方針を立てること」と返答します。なんだ、ちゃんと分かってるじゃないですか。でも、実際の診療場面におけるインフォームド・コンセントでは、上記のような目的で行われているとは言い難いと私は思っています。

医師の治療方針を患者が拒否したときの受け止め方に違和感
 これは、別に医療者が患者に対して説明を怠っているということではありません。むしろ、現代の医師は、患者に懇切丁寧に説明することに必死であるように私には見えます。全身麻酔の手術などの説明に至っては、内科医である私も知らないようなことまで丁寧に、何度も何度も説明しています。みんなあんなに毎日忙しいのに。私はその努力に敬服する一方で、一体これはどこに向かっているのだろうかと疑問も感じます。
 
 誤解を恐れず、さらに付け加えます。しっかりとしたインフォームド・コンセントが行われた場合、“医学的には最も適切と考えられる選択肢を選ばない頻度”が増えると私は考えています。例えば、つい先日Hbが4.7g/dL(ちなみに鉄欠乏性です)しかない患者に対して、入院もさせず、それどころか内視鏡検査も行わないということで私と患者は合意してしまいました。もちろん、その後も私はその患者に対して内視鏡検査を受けることを勧め続けるのですが。なぜ私は医学的には愚かと考えられる選択に合意してしまったのでしょうか?

 それは、たぶん私が患者の言い分に納得してしまったからだと思います。「自分の具合が特に悪くないうちは、できれば病気と関わりたくない。知ってしまうと病気になるから。そしてもし癌があるとわかっても手術をする気はない。癌があると知りながら生きるよりも、元気に今を生きていたい」と。

 医師が提案する治療に対して患者がそれを拒否したとき、医師はしばしば「インフォームド・コンセントを取得することができなかった」と感じてしまいます。この感覚に私は強烈な違和感を覚えるのです。なぜ「治療(もしくは検査)を行わず経過を見ていくことで合意した」という感覚を、医療者が持つことができないのでしょうか? それは、「医師としての自分が正しいと思っていることこそが、患者にとって正しい」という考えに、我々が縛られすぎているからではないか、私はそう考えます。

医療者、患者の両方が読める手引書が完成
 そういった思いから、この手引書は「こんなインフォームド・コンセントはおかしい」という違和感をベースに、また生命倫理学の専門家の方々や医療におけるコミュニケーションに詳しい方、実際に患者と医療者をつなぐ懸け橋として毎日仕事をされている方など合計15人の方々に手伝っていただき作成しました。私はこの手引書で、以下のことを強調しました。

・全部理解する、全部理解させるということを放棄し、お互いにほんの少ししか理解できないことを、前提として受け入れた上でのインフォームド・コンセントであること
・医療者の患者への説明よりも、医療者が患者の事情を理解することがインフォームド・コンセントにはより大切であること
・「人は迷うものである」ということ。すなわち、決断を保留したり、いったん行った決断を覆したりすることが大切であること
・何よりも、対話あっての決断であること

連載の紹介

尾藤誠司の「ヒポクラテスによろしく」
医師のあり方を神に誓った「ヒポクラテスの誓い」。紀元前から今でも大切な規範として受け継がれていますが、現代日本の医療者にはそぐわない部分も多々あります。尾藤氏が、医師と患者の新しい関係、次代の医師像などについて提言します。

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