
「鮨 奈可久 星野」にて。右から名畑茂昭氏、私、遠藤邦夫氏、室栄二氏。
私は今、うちの「医療法人社団」を、より公益性の高い「何らかの医療法人格」へ変更しようかと考えている。その場合、避けて通れないのが親族以外の理事を一定割合入れることだ。どういう医療法人にするかは別の機会に述べるとして、今回はその理事候補にお会いしに新潟まで行ってきた。
最近、私のブログが経営日誌でなく旅行記になっているとお叱りを受けることが多い。そのご批判は甘んじて受けるとして、理事長の見識を広げるためにも、今後の病院のためにも、今回の旅が欠かせないことを分かってもらえれば幸いだ。
今回の旅は、私にとって初の北陸上陸。えっ!?新潟は北陸じゃないって…??九州から見ると確実に北にある土地(陸)なのに、北陸3県とはどうやら福井、石川、富山のことを指すらしい。インターネットで検索してみると、昔は越前(福井、石川)、越中(富山)、越後(新潟)から成る地域が北陸地方だったそう。一説によれば、上越市が中心の時は全体が北陸として捉えられていたものの、新潟北部に位置する新潟市が県庁所在地になってから、新潟が北陸から離れたのではないかと言われているらしい。現在は山梨、長野と共に甲信越地方に入るとのことだ。
では改めて、初の甲信越上陸(あまりパッとしないなぁ)。話が脱線したが、今回の新潟行きはそもそも、理事候補で、新潟市でエム・スタッフという薬局を経営している名畑茂昭氏にお会いするための旅なのだ。ご存じない方に説明すると名畑氏とは、私が経営学の師と仰ぐ矢野経済研究所主席研究員の遠藤邦夫氏を介して知り合った。ある日、遠藤氏から「銀座で飲んでいるからおいで」と誘われたので参上すると、そこに名畑氏がいた。しばらく一緒に飲んでいたら、名畑氏が爆睡。その後、目覚めた名畑氏と「お互いの故郷でもう一度飲みなおそう」と約束を交したのである。名畑氏には、昨年はるばる熊本までおいで頂いたので、今回は私が新潟に赴く。旅には同じく理事候補の遠藤氏に加え、医薬品卸会社アトルの元部長である室栄二氏にも同行いただいた。
新潟に行きたかった理由はもう1つある。うちの先祖については詳しく知らないが小さいころから、私の名前についている「謙」という字は「上杉謙信公」の謙だと言われて育った。謙信公には実の子がいなかったようなので、血のつながりがあるわけではない(というかあり得ない)が、「東=あずま」という呼び方は、関東流だ。九州では「東=ひがし」という呼び方が主流。といったわけで、うちの先祖は関東との因縁がありそうだし、新潟には以前から特別な関心を抱いてきた。
残念なことに、熊本から新潟への直行便はない。行きは福岡空港から新潟空港へ飛んだ。2時間後、新潟上空から見る景色は、一面雪化粧を施された世界だった。到着して新潟駅行きのリムジンバスに乗ろうと外に出ると、寒さに慣れていないせいか、吸気時に気管に氷点下の冷気が入り込み、痛みが走った。九州では体験することのない寒さに、一抹の不安を感じた。
私たちは早速、待ち合わせ場所に指定されていた新潟市西堀通りの「鮨 奈可久 星野」という寿司屋に向かった。熊本も刺身は美味しいのだが、新潟の魚もうまい。一番違いを感じたのはトロだった。身の引き締まりぶりが違う。気温のせいかもしれないが、ネタが全体的に引き締まっていた。沖縄に行ったときは刺身が軟らかい気がしていたが、それと同じようなものかもしれない。そうそう、それより何より新潟の日本酒には、まさに度肝を抜かれた。同じ銘柄を熊本でも飲んだことがあったが、鮮度の違いなのか、どれも澄み切った美味しさがある。予想通り、理事会の話はそっちのけで意識朦朧となるまでひたすら日本酒を飲み続け、皆ホテルで爆睡した。