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不機嫌な中堅看護師

2014/11/26
高崎由佳理

 突然、「高崎っ、話がある!」と、師長から呼び出された。あれは確か、助産師3~4年目の頃だった。なんとなく呼び出された理由は察してはいたが、『怒られるのか……?』と、ドキドキしながら面談室に向かった。座るや否や、「最近どうしたの?仕事に対する態度がなっていない!」との第一声。仕事に身が入っていないとか、心がここにないとか、そんなようなことを言われた気がする。あの頃から20年以上も経っているので記憶はあいまいだが、日頃の私の態度と行動に喝!!を入れられたことだけは今もハッキリと覚えている。

海外で助産師として働きたい!
 きっかけは、助産師2~3年目の頃だった。助産師として海外ボランティア活動をしていた助産師が、当院に中途採用で入職してきた。当時、私は友人と海外旅行に行くのが楽しみの一つであった。滞在先のホテルの医務室で看護師として働く日本人と出会う機会があったり、異国の開放的な空気に触れることで、海外で助産師として活動してみたいという淡い夢を思い描いていた。同じように、看護学生時代の友人もワーキングホリデーを企てていたり、同期の助産師も青年海外協力隊で活躍したいと、各々の夢を語っていた。そんなこともあり、海外ボランティア活動をしていた助産師の異国での経験談は、私にとってとても魅力的で、海外で働いてみたいと思う気持ちをより一層かき立てられた。

 海外で働くためにもまず語学力を身につけなければと思い、師長に「英会話学校に通いたいので○曜日と○曜日は、休みか夜勤明けにしてください」と、無理な勤務希望を言ってみたり、「同期の助産師4人で旅行に行きたいので全員で休みをください」など、自己中心的な物言いが多かった。全く、心ここにあらずで、仕事にも身が入っておらず、まるで反抗期の子どものようだった。

 結果的に、高~い受講料を払って英会話学校に通ったにもかかわらず、語学は全く上達しなかった。さらに、思い切りが悪くチャレンジ精神がなかったため、海外で働きたいという気持ちも次第に薄れていった。友人たちは、持ち前の強い信念の基に、ワーキングホリデーや青年海外協力隊の夢を実現していった。

卒後6~7年目に訪れた“第2反抗期”
 その後、助産師6~7年目の頃であっただろうか、“第2反抗期”がやってきた。

 あの頃は3交代勤務であり、深夜勤務に出勤するのが本当に辛かった。深夜勤務の前日は休みが確保されているのだが、深夜勤務に向け、夕方頃から数時間の仮眠をとって出勤していた。しかし、さすがに明るい夕方はなかなか寝付けず、ようやく眠りについたところで、けたたましい目覚まし時計に起こされ、出勤途中はいつも頭がボーッとしていた。さらに、世の皆さまが帰宅の途に着く姿を見て「なぜ自分はこんな真夜中に出勤しなければならないのか。世の中の人はこれから寝る時間なのに……」と、これから眠りにつくであろう見知らぬ人たちを羨みながら、看護師人生を選択した自分を悔いていた。

著者プロフィール

高崎由佳理(杏林大病院副看護部長、左)●たかさき ゆかり氏。1990年杏林大病院入職。産科病棟師長、外来師長などを経て、2014年から現職。12年国際医療福祉大大学院修了。助産師。根本康子(杏林大病院副看護部長、右)●ねもと やすこ氏。1987年杏林大病院入職。2004年手術部師長、14年から現職。13年国際医療福祉大大学院修了。

連載の紹介

新米副看護部長が行く!@杏林大病院
2014年4月に副看護部長に就任した二人の筆者が、看護部での奮闘の様子を交互に綴るエッセー。診療報酬制度など病院経営に直結する話題から、人材育成に関することまで、看護管理全般の話題に幅広く切り込みます。

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