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熊本震災を機に 他人ごとから自分ごとへ

2016/06/06
久保田 聰美(高陵病院 教育顧問)

 本連載の開始に当たってテーマを悩んでいた時期に、熊本地震の一報が入りました。自分なりに災害看護との関わりは大切にしてきましたが、まだまだ厳しい現場で支援活動に当たられている方が大勢おられる中で、何もしていない自分がこの話題に触れることに心理的抵抗があったのは事実です。でも、「私にも何かできることがあるのではないか」ともどかしく感じているナースの一助になればと思い、今回は災害をテーマにいたしました。

 少しだけ「災害看護」と自分自身のキャリアや生活を振り返ってみます。

 私は2014年まで、全国5大学連携の災害看護グローバルリーダー養成プログラムの教員をしており、現在も微力ながら学生の支援に関わっています。幼少期は、「天災は忘れた頃にやって来る」の言葉で有名な、寺田寅彦記念館(高知県高知市)を遊び場とするような環境で過ごしました。高知県は自然災害が多く、台風が来るたびに雨戸を閉めてお風呂に水を貯め、停電に備えておにぎりや非常食を準備する母の姿は、今でも私の脳裏に焼き付いています。

 しかしそれでも、備えを超える災害は繰り返しやってきました。最も記憶に残っているのは、1998年の高知豪雨。当時、私は保健師として避難所にいらっしゃる住民の方からの健康相談を受けていたのですが、住民と行政が協力して復興を進めるためのマネジメントの難しさを痛感したのを覚えています。

 阪神淡路大震災後ということもあり、ボランティア希望者も多かったのですが、ボランティア希望者への仕事の振り分けがうまくいかず、自治体の担当者が住民の苦情に追われるという悪循環が起こりました。

 そのころは、「待つことも大切なボランティア」といった住民側の意識もない時代。一部の住民の方は、行政への苦情ばかり声高に言っていました。一方で、当時は下水道も完備されていない地域で、水が引いた後も悪臭が漂う中、不衛生な瓦礫や日用品の残骸を黙々と片付けていたために、体調不良を訴える人々もいました。一緒に地域を回っていた自治体の職員が「公務員には危機対策なんてできない」と投げ捨てるようにつぶやいた言葉が、今でも耳の奥に焼き付いています。

病院に残された職員から不満の声も
 もともと、自然災害の多い日本における「災害対策基本法」は、1959年の伊勢湾台風を契機に制定されたため、主に水害を想定してつくられました。「事前の想定」が前提にあり、その「想定」に対応にするために、国、地方公共団体が中心になって必要な体制を確立し、責任の所在を明確にする仕組みとなっています。

 しかし、その「想定」を覆す災害が、1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災でした。その時に、救えるはずだった命が救えなかったという無念の思いから法改正が重ねられ、災害派遣医療チーム(DMAT)や広域災害救急医療情報システム(EMIS)を生んだと言われています。

 これらの災害医療システムは、その後の災害ではそれなりの機能を発揮していましたが、それでも2011年3月11日の東日本大震災では、想定外の災害規模の大きさだったゆえに、十分な役割は果たせませんでした。当時、私はDMATを送り出す病院側の人間として、緊張した面持ちで出発するスタッフの背中を見送り、現場から送られてくる情報を待ちわびました。

 そして、不全感を抱いて帰ってきたスタッフを迎えました。彼らは、現地での継続支援を希望したものの、ガイガーカウンターも持たないまま、福島県での支援をこれ以上継続するのは難しいとの判断から、帰高を余儀なくされたのです。

 一般病院として、災害支援スタッフを送り出す難しさを痛感したのはこの時です。一般病院のスタッフの多くは、日赤の職員などと違って、災害時を想定した基礎的な教育を受けていません。そのような中で、院内では日常の診療や看護体制を維持・継続しつつ、中長期的に災害支援スタッフを送り出す体制を構築していくことは簡単ではありませんでした。

 「現地に支援に行ける立場の人はいいよね」といった職場内での批判を耳にするたびに、私は現場に足を運び、残される側の職員たちの負担感を軽減しようと努めました。そして、送り出される側も現場に申し訳なく思うのではなく、自然と感謝の気持ちを感じながら互いに支えあえる仕組みをつくることが重要で、それは平時のマネジメントにも通じると痛感しました。

著者プロフィール

久保田聰美◎くぼたさとみ氏。1986年高知女子大学家政学部看護学科卒。虎ノ門病院、高知県総合保健協会を経て、2004年近森病院に入職。07〜13年同病院看護部長、15年ぺーす代表取締役を経て、現在、高陵病院教育顧問、高知県立大大学院看護学研究科災害看護グローバルリーダー養成プログラム(DNGL)特別研究員。看護学博士。

連載の紹介

はちきんナースの「看護のダイヤを探そう!」
保健師として13年間働いた後、高知県内屈指の急性期病院である近森病院に入職。外来パート勤務を経て病棟師長、看護部長を務め、大学教員、訪問看護ステーション所長など様々な看護のフィールドも経験した筆者が、長年の経験を踏まえて看護の今、そして未来について語ります。看護現場のキラリと光るエピソードを一緒に探しましょう。

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