日経メディカルのロゴ画像

特集 インフルエンザ 2007/2008

【解説:スペイン・インフルエンザ】
1カ月で全国に蔓延、翌月には患者数、死者数ともピークに

 人類が経験したパンデミックの中で、「史上最悪のインフルエンザ」とまで言われるスペイン・インフルエンザ。その日本での流行は1918年8月下旬から9月上旬に始まり、10月上旬には全国に蔓延した。この間わずか1カ月。流行拡大は急速で、11月には患者数、死亡者数ともピークに達した--。これは、東京都立健康安全研究センターの池田一夫氏(写真)らの研究により浮かび上がったスペイン・インフルエンザ流行の実像だ。

 池田氏らは、健康安全研究センターで開発した疾病動向予測システム(SAGA:Structural Array GEnerator)を使い、わが国のスペイン・インフルエンザ(H1N1)の大流行の実態を分析した。参考にしたデータは、人口動態統計と内務省衛生局が1922年3月に発行した「流行性感冒」(国立保健医療科学院 所蔵貴重書にて公開中)。

 図1は、「流行性感冒」のデータを元に、都道府県別・月別に死亡者数の推移をみたもの。記録には、「1918年10月に大分県で死者756人」という記載がある。以降、急速に各県で死亡者数が増加し、11月にはほぼ全都道府県で死者が500人を超えてしまった。その後は、死亡数が減少する都府県も少なくなかったが、1919年1月から3月にかけて、東京と大阪近郊で死亡者数の増加が認められている。この都道府県別・月別死亡者数の推移をまとめた際、池田氏は「流行のスピードが速い」と実感したという。

都道府県別・月別に死亡者数の推移図1 都道府県別・月別にみたスペイン・インフルエンザによる死亡者数の推移(池田氏)

 1カ月で死者756人というのは、どれほどの数字なのか--。たとえば交通事故による死者は、2007年の場合、月当たり420~550人となっている。これはあくまで全国の集計である。つまり、1918年10月の1カ月間に、大分県だけで、全国の交通事故による1カ月当たりの死者数を上回る人数がスペイン・インフルエンザにより命を落としたことになる。そして、その後1カ月で、ほぼ全国の都道府県で大分県に迫る人数の死者が発生したわけだ。

 池田氏が実感した「速さ」。そして「想像を超える数」の死者数。パンデミック(感染爆発)の恐ろしさは、この「拡大の速さ」と「圧倒される量」に凝縮される。当時と今では、交通手段も違えば、人口規模も異なる。出現が危惧されている新型インフルエンザが、仮にスペイン・インフルエンザ級のものであったなら、有効な手立てを講じない限り、その被害は未曾有のものとなるに違いない。

 なお、スペイン・インフルエンザの日本での感染ルートは定かではないが、都道府県別・月別死亡者数の推移を見る限り、「軍港があった地域から広がっている印象との指摘はあった」(池田氏)という。米国での流行が軍を中心に広がっていたこともあり、日本もその影響を受けたのではないかとの指摘だ。現在は、相手がウイルスであることが分かっている。感染ルートを遮断する水際作戦は、今後とも充実すべき点だ。

■全国民の37.3%がスペイン・インフルエンザに罹患

 池田氏らの人口動態統計の分析により、スペイン・インフルエンザ流行による死亡者数は、1918年11月と1920年1月の2回、ピークがあったことが分かった(図2)。 

図2 スペイン・インフルエンザ流行による死亡者数(人口動態統計の分析から、池田氏)

 死亡数の推移をたどると、1918年10月から増加が顕著となり、同年11月には男性2万1830人、女性2万2503人、合計4万4333人のピークを示した。その後12月から1919年1月までは2カ月連続減少したが、2月には再び増加し、男性5257人、女性5146人、合計1万403人に達した。以降は減少を続けるも、1919年12月から2回目の増加がみられ、1920年1月には、男性1万9835人、女性1万9727人、合計3万9562人のピークに達した。

 池田氏らは「流行性感冒」に基づいた分析も行っているが、それによると、1918年8月から1919年7月の第1回の流行期間に、スペイン・インフルエンザの患者数は2116万8398人、死亡者数は25万7363人との記録が残っている。2回目は1919年8月から1920年7月までで、患者数は241万2097人、死亡者数は12万7666人、さらに3回目の1920年8月から1921年7月までに、患者数は22万4178人、死亡者数は3698人となっている(表1)。合計の患者数は2380万4673人、死者の総数は38万8727人となる(死亡率1.6%)。

表1 スペイン・インフルエンザの実際(「流行性感冒」に基づいた分析、池田氏)

 1918年12月31日現在の日本の総人口は5666万7328人(日本帝国人口静態統計、1919)であることから、1回目の流行で「全国民の37.3%がスペイン・インフルエンザに罹患した」(池田氏)ことになる。実に3人に1人以上がスペイン・インフルエンザに感染したわけだ。

 このほか、池田氏らの研究により、以下の特徴も明らかになった。

 まず、1回目の流行時に「再燃」がみられたことだ。終息したかと思えたときに、規模は小さいものの流行が再び起こった。季節インフルエンザの流行でも、再燃のあるシーズンとないシーズンがある。再燃があるシーズンでは、再燃の前後でウイルスが微妙に変化していることがあり、「新型インフルエンザ対策では、こうしたウイルスの変異を検出し、素早く対応する体制が必須となる」(池田氏)。

 図3は、1899年から1943年までのインフルエンザ死亡者の世代マップだ。スペイン・インフルエンザの影響を受けた世代を明らかにしたものだが、1917~1919年では、男性で21~23歳の年齢層で大きなピークがみられた。一方、1920~1922年では、33~35歳にピークが出現している。女性の場合は、両期間とも24~26歳にピークがあり、またそのピークは、男性より高いことが特徴だった。

図3 インフルエンザ死亡者の世代マップ(池田氏)

 これは「若い人たちほど、スペイン・インフルエンザで死亡した」(池田氏)ことを意味している。通常は、乳幼児や高齢者らが死亡者の中心と考えられるが、スペイン・インフルエンザでは、20代あるいは30代が数多く死亡している。パンデミックでは、死に至る病態として免疫系が過剰に反応して発生する「サイトカインストーム」の影響が指摘されているが、「若い人に多い死」という事実は、これを裏付けるものであろう。

 最後に、スペイン・インフルエンザの流行期間だが、おおむねピークの前後4週間程度という分析結果となっている。これは通常のインフルエンザ流行とほぼ同じだった。

 想像してみていただきたい。4週間という流行期間に、通常のインフルエンザの何倍もの患者が押し寄せ、多くの人が命を落としていく事態とは、いかなるものだろうか。

お寺で若い修行僧が次々に倒れた
 私の母は明治35年(1902年)生まれです。平成9年(1997年)死亡しました。その母から聞いた話です。
 お寺で若い修行僧が次々に倒れた。看病していた母も感染した。当時は「水を飲ませるな」と言われた。食事も水も取れず、発熱で喉が乾いて耐えられなかった。若い修行僧が死亡して、「いっそ死ぬなら水を思いっきり飲もう」と思って、見つからないよう台所に這って行き水を飲んだ。翌日から熱が下がって良くなった。他の修行僧にも母が水を飲ませて助かった。
 このような話を聞きました。これを教訓にして母は、わが家では、発熱・下痢などで食事は取れなくても、水は飲ませるように子育てをしたそうです。
 お役に立つかどうか分かりませんが、 本人が既に他界しましたので、これ以上は分かりません。(千葉市在住の70代女性)
 
*「日本における『スペインかぜ』の目撃者調査」から。現在も調査は実施しています。1918年、1919年に大流行したスペイン・インフルエンザを直接的に経験された方、あるいは身近に経験した人がいた方、スペイン・インフルエンザについての記録をお持ちの方など、「スペインかぜ」の実際を語っていただける方でしたらどなたでも構いません。些細な情報でも構いません。ぜひ情報をお寄せください→投稿画面

 囲み記事「お寺で若い修行僧が次々に倒れた」は、「日本における『スペインかぜ』の目撃者調査」に寄せられたものだ。スペイン・インフルエンザの実態はどうだったのか。当時の人々がどのように対応したのか。その一端が見えてくる。

 人類はこれまでに、スペイン・インフルエンザ(1918-1919、死亡者数は全世界で4000万~5000万人)をはじめ、アジアインフルエンザ(1957-1958、世界での超過死亡数は200万人以上)、香港インフルエンザ(1968-1969、世界での超過死亡は約100万人)とパンデミックを経験してきた。新型インフルエンザの出現の危険性が高まっている今、こうしたパンデミックを振り返り、そこに教訓を見い出す努力は欠かせない。

  • 1
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

この記事を読んでいる人におすすめ