「正当にこわがることは、なかなかむつかしい」。50年前に物理学者で随筆家である寺田寅彦氏によって発せされた警告である。「史上最悪のインフルエンザ」の著者であるA.W.クロスビー氏は日本語版への序文でこの警句を紹介し、「我々が今、肝に銘じるべき言葉である」と結んだ。翻訳に当たった仙台医療センターウイルスセンター長の西村秀一氏(写真)は、この言葉の中に新型インフルエンザと対峙していくための基本姿勢を読み取る。国レベル、自治体レベルで対策案が打ち立てられる中、体制は整いつつあるように見えるが、果たして本当にそうなのか。絵に描いた餅にしないためにも、地域に根ざした「私たちの行動計画」が必要になっている。そこに実効性を吹き込む決め手は、やはり「地域のリーダーシップ」(西村氏)なのだ。

-- 先生は2006年に、国の要請を機に各都道府県が作成した「新型インフルエンザ対策に関する行動計画」を概観した結果を発表されました(関連情報)。そこから出た結論は「行動計画という名の金太郎飴」でした。

西村 2005年末までに、相次いで出された都道府県や政令指定都市の計画のうち、28の計画を読んでみました。その時点での率直な感想は、みなどこも同じような顔の「金太郎飴」だったのです。東京都や北海道は、かなりの工夫と独自のまとめ方をしていました。さいたま市や佐賀県、愛媛県のものなど、独自色をみせているところもありました。しかし、その他はおしなべて金太郎飴だったのです。残念だったのは、それまで長い時間をかけて、国の要請に先行してプランニングを目指していた宮城県、山形県、大阪府のものが、ガラリと変わってしまって、ものの見事に金太郎飴になっていたのです。

-- 国の要請に合わせていればよいという考え方だったのでしょうか。

西村 私は、「国との整合性」や「金太郎飴であること」自体を問題視しているわけではないのです。「国との整合性」が必要なのは当然でしょう。しかし、一番大切なことは、本当に新型インフルエンザがやってきたときに、自らが作った行動計画できちんと自分のところの住民を守れるかどうかという実効性の問題なのです。それが担保されている行動計画であれば、何ら問題はないのです。

-- 日本環境感染学会だったでしょうか。先生は、絵に描いた餅にかけて、各都道府県のお雑煮を紹介していました。各地に独自の雑煮があることを引き合いに、与えられたものではない自らの行動計画の必要性を訴えられていたと思います。

西村 地域レベルの行動計画は、「私たちの私たちによる私たちのための行動計画」であるべきです。

-- そうはなっていない象徴的な事例として、先生は後日、「ある日の新聞報道が意味するもの」と題した一文をお書きになっています(関連情報)。ある新聞が報じた「新型インフル患者受け入れ大丈夫? 京都の病院 3分の1が拒否や保留」という記事を題材にされたものです。

西村 記事は、京都府と京都市が、新型インフルエンザの発生に備えて府内の120の医療機関に患者受け入れを要請したところ、当時は40もの病院が拒否あるいは態度保留という回答だったというものです。新型インフルエンザで発生することが予想される莫大な数の患者を、感染症指定病院や公立病院で受け入れ切れないと考え、大流行時には特別な病院を除く全医療機関で診療にあたると行動計画で定めた上で受け入れ協力を求める要望書を送付、回答を集計した結果だったというのです。理由は、一言でいえば医療側の新型インフルエンザに対する不安といったところのようです。

-- 執筆された当時、先生は特に「リスク・コミュニケーションのまずさの問題」と指摘されていました。

西村 新型インフルエンザについて、一般的に病気が致死的である可能性だけが過度に強調されたためと思っています。リスク・コミュニケーションは、事が起きて初めて始まるものではありません。日常的に行われるべきものであり、情報を発信する側、あるいは管理すべき側は、情報がどのような受け取られ方をするかも考慮し、脅し過ぎず、過度に楽観せず、バランス良く情報を伝える必要があります

-- まさに「正当にこわがることは、なかなかむつかしい」ということですね。現状はどうでしょうか。「まずさ」は解消されたのでしょうか。

西村 ほとんど変わっていないのではないでしょうか。リスク・コミュニケーションは、今のうちからよくよく考えるべきことだと思います。今は、一方的に脅しすぎの方に偏っていて、これで、いざ多くの患者が出る事態となった時にそれに一緒に立ち向かうための「一般の医療関係者の士気」が、うまく醸成されるのか大変気がかりです。