ヤマグチさんは68歳の男性。2年前に膵癌とその肝転移が見つかり化学療法を受けて続けていたが、この半年ほどで治療の効果が乏しくなり、腹痛にさいなまれるようになった。そのため、主治医の紹介でDr.ニシの緩和ケア外来を受診。腹痛はオピオイドの導入で緩和できたものの、食欲の低下もあり徐々に体重が減少したため栄養サポートチームからの支援も受けていた。
そんなある日、Dr.ニシの外来にヤマグチさんの妻が「相談したいことがある」と来院した。

Dr.ニシ 急に、どうしましたか?
ヤマグチ妻 夫のことなんですが、どんどん痩せていって心配なんです。
Dr.ニシ そうですね。心配ですよね。一応、食欲を出すお薬を飲んでいただいたり、栄養士さんにも入っていただいてはいるのですが……。
ヤマグチ妻 そうなんですか。実は先月から、私の知り合いの先生にこのサプリメントを勧められまして。飲ませていたのですが、本人は「もう飲みたくない」って言うんです。それで食事も摂れなくなって。先生からも、きちんと飲むように勧めていただけませんか?
ヤマグチさんの妻はカバンの中から黄色い瓶を取り出しながらこちらを見つめてくる。その黄色の瓶には聞いたこともない成分の錠剤がたくさん入っていた。
Dr.ニシ ええと。そもそもこれは何なのでしょう?
ヤマグチ妻 なんか生薬が含まれているお薬とお聞きしましたけど……。これを処方してくださった先生は、昔から癌や難病の患者を何人も完治させたことで有名な方なんです。先生からはこのお薬の他にも、煎じて飲むお茶とかもいただいていて、それを1食ごとに500mLずつ飲むようにと。でも、それも本人は「飲まない」と言っていて。もう生きることを諦めてしまったのでしょうか。
Dr.ニシ いえ、ご本人はそんなことはおっしゃっていなかったですよ。それに、私から勧めてくださいと言われましても、そもそもこのような薬は標準治療ではないですし、よく分からない薬やサプリメントで逆に健康被害を受けた例も結構あるんです。基本的にはこんなものはお勧めできませんね。
そうDr.ニシが告げると、ヤマグチさんの妻は気色ばんだ。
ヤマグチ妻 先生はご存じないかもしれませんが、このお薬のおかげで食べられるようになって、体力がついてがんを撃退できた方が何人もいるんですよ。この薬さえ飲んでもらえれば希望はあるんです。
Dr.ニシ いえ、それはその先生がそのように言っているだけですよね。私たちはそんな報告を聞いたことはないですし、インチキなんじゃないですか。
ヤマグチさんの妻はその言葉には答えず、じっと床を見つめていたが、「先生は夫を見殺しにするつもりなんですね」とつぶやくと、不意に立ち上がり挨拶もせずに診察室を出て行ってしまった。
Dr.ニシ ――ということがあったのですよ。
Dr.ミヤモリ そうかい。それは急に言われて驚いたね。
Dr.ニシ ええ、驚きました。ヤマグチさんの奥さんがそのように考えていたなんて……。あんなエビデンスも無い治療を勧めてくるなんて非常識極まりないですよね!
Dr.ミヤモリ うーん。ちなみにその後、ヤマグチさんご本人にはお会いできたの?
Dr.ニシ ええ、奥さんがいらっしゃったことを告げたら驚かれていました。本人も知らなかったようで。その上で、本人も困惑しているようなことをおっしゃっていましたね。「妻がどうしても飲めと言ってくるから仕方なく付き合ってきたけど、段々エスカレートするし、お茶やサプリメントの飲みすぎでご飯も食べられないし」と。今の状況を考えると、奥さんの行動はむしろ治療の妨げになっていると思うんです。
Dr.ミヤモリ まあ、そうかもしれないけどね。ただ、ニシ君も奥さんの気持ちを受け止めることなく頭ごなしに否定したのはどうだったかな。奥さんの行動は、「夫に良くなってほしい」「また食べられるようになって元気になってほしい」という思いから出た、彼女なりの働きかけだよね。それが問題を深くしているとしても。だから、奥さんが努力してきたこと自体は、ニシ君が受け止めてあげて良かったんじゃないかな。それに、ニシ君が否定したことで、今後奥さんが標準治療から離れて代替療法の方に信頼を寄せていくかもしれない。よけいに問題が深くなっていくんじゃないかい。
Dr.ニシ う……。確かにそうかもしれませんが。
Dr.ミヤモリ 少し頭を冷やして、多角的に考えてみようか。
家族全体をユニットとして捉える「システムズ・アプローチ」
Dr.ミヤモリ ニシ君は「システムズ・アプローチ」という考え方を知っているかい?
Dr.ニシ システムズ・アプローチ? いえ、初めて聞きました。
Dr.ミヤモリ システムズ・アプローチとは、例えば家族を一つの「ユニット(有機体)」として認識する考え方なんだ。その家族システムの中で、構成する個人がお互いに関係性をもちながら状況を作り出していると考える。
Dr.ニシ よく分かりません。
Dr.ミヤモリ じゃあ、ヤマグチさんの例で考えてみよう。今回、ニシ君は端的に言えば奥さんの言い分がおかしくて、ヤマグチさん本人は奥さんの被害者、という構図で2人の関係を捉えているよね。奥さんの勧める代替療法はヤマグチさん本人にとって精神的にも身体的にも負担になっている。だから、奥さんの行動を制御できれば、ヤマグチさんの不幸は解決できる、という。
Dr.ニシ そうですね。だって奥さんの行動は明らかに標準的ではないですし、それによってヤマグチさん本人は苦しんでいるじゃないですか。
Dr.ミヤモリ 「本人が現在抱えている苦しみは奥さんの行動のせいだ」、そのような考え方を直線的因果律と呼ぶんだ。確かに世の中の多くのことは「原因があるから結果がある」ように見える。でも、ヤマグチさん本人も、奥さんへ影響を与えている、とは考えられないかい?
Dr.ニシ 苦しみを作り出しているのが、「奧さんから本人」だけではなく「本人から奧さん」の方向もあるということですか?
Dr.ミヤモリ そうだね。これは推察していくことになるけど、ヤマグチさんは半年ほど前から治療が徐々にうまくいかず、がん性疼痛も出てきたよね。その頃から、恐らくは家庭内で「自らが死に向かっていく恐怖や不安」を口にしていたんじゃないかな。明確に「不安だ」とまでは言わなくても、奥さんに対して悪い病状を正確に伝えていたなら、そこにはネガティブなニュアンスは少なからず含まれていくよね。その不安が奥さんの方に伝わることで、「私ができることを何かしてあげないと」という思いを強め、結果的に代替療法に奥さんが走ったとも捉えられるじゃない。
Dr.ニシ なるほど。確かに、奥さんが代替療法にはまり始めたのは、病状が悪化してからだったと思います。
Dr.ミヤモリ このように、何か問題が起きたとき、その原因が特定の個人にあるのではなく、相互の関係性の中にあってそれが影響し合って悪循環を生んでいると考えることを円環的因果律と呼ぶんだ。だから、奥さん個人の考え方を正そう、ではなく、この悪循環そのものを断てないか、と考えていくべきなんだ。
システムの中には医療者も含まれる
Dr.ミヤモリ もう一つ言うと、この円環的因果律の中にはニシ君との関係性も含まれるからね。
Dr.ニシ えっ、僕自身もですか。
Dr.ミヤモリ 君も医療者という立場で2人の問題に関わっている。そこに関係性が生じるのは当然だよね。今回のケースで言えば、奥さんは緩和ケア医であるニシ君に対し、決して良い感情を抱いていないよね。「あの医者が夫をそそのかして死へ導いているのでは」と疑心暗鬼になっている。
Dr.ニシ はい、最初は僕を「夫を説得する仲間」に引き入れようとしましたが、僕がそれに拒否的な態度を取ったので、敵視されてしまいました……。
Dr.ミヤモリ そうだね。ニシ君がヤマグチさん夫妻の悪循環を何とかしようと思うとき、その自分の立ち位置・関係性を考えた上で関わっていく必要がある。
Dr.ニシ 具体的に、どのようにするのが良いでしょうか。
Dr.ミヤモリ 例えば、奥さんと「共通の理解基盤に立つ」ようにするのは一つかもしれない。いま、ニシ君は「ヤマグチさん本人に治療を諦めさせようとするヤブ医者」で、夫も「自分の提案をのんでくれないわからずやで、医者にだまされている」と思われているよね。つまり、奥さんから見れば2人とも敵になっている。ニシ君は奥さんのその考えを全肯定しなくても「この部分においては連帯できますよね」という共通の理解基盤に立つことはできるかもしれないんだ。
Dr.ニシ なるほど。確かに前回は、奥さんの提案する代替療法を受け入れるか、拒否するかの二択しかなく、それによって本人の苦痛が左右されると思っていました。そうではなく、僕自身も含めた相互の関係性に焦点を当てることで、その部分での悪循環を断てるようにする必要があるんですね。
Dr.ミヤモリ まず、奥さんがこれまで取り組んできたことについて肯定する、というか、とにかくねぎらう。その上で、奥さんにとって、本人が「食べる』とはどういうことなのか、を評価したり、その目標に対して現状はどの程度食べていると思っているのかなども聞いていくのも一つの方法だね。そういったやり取りが必要になるシステムズ・アプローチは、僕ら医師よりも臨床心理士などが専門とする分野だ。何か困ったことがあったり、理解が追い付かないときはそのような専門家に頼るのも手だからね。
Dr.ニシ 分かりました。気を付けてやってみます。
その後、Dr.ニシはヤマグチさんの妻に連絡し、もう一度来院してもらい、夫のことについて何に不安を抱いていて、今後どうしていきたいと思っているのかをじっくり聞いた。その上で、奥さんがこれまで行ってきたことの労をねぎらい、今後は本人も含めてどのような形で取り組んでいくのが良いか、話し合いの場を設けることにした。このことはヤマグチさん本人にも共有され、3人で話し合った結果、本人としても奥さんの気持ちを酌んだ上で「でもあまり無理はしたくない」こともしっかり主張し、代替療法も無理のない範囲で取り組みながら標準治療を続けていくことになった。
ポイント
・システムズ・アプローチを意識すると「Bという原因があるから、それさえ解消すれば問題も消える」という単純なアセスメントに陥らずに済む。

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『Dr.西&Dr.宮森の 高齢者診療はエビデンスだけじゃいかんのです』
(西 智弘 著、宮森 正 監修、4400円〔税込〕)
高齢者を遊びのない世界に閉じ込める医療ではなく、一緒に「生きる」を楽しむべきではないか。そんな思いを実践した、高齢者診療や緩和ケアの取り組み方を紹介します。
連載分に加えて、西先生、宮森先生にコラムも書き下ろしていただきました。
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