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「安心」と「安全」の危ないバーター
今は無症候者へのPCR検査を求めるべきではない

2020/04/24
森井大一(大阪大学感染制御学)

 筆者は「医師が症状をみて疑わしければ速やかにPCR検査すべき」と考えている。PCR検査の対象が、患者であろうと、病理解剖であろうと、体調不良を訴える職員であろうとこの考え方は変わらない。PCR検査を行うに当たって、どこでも所属組織内での一応のルールはあるだろう。そのルールの設定と運用は、筆者が奉職する大学病院のような組織では、感染制御を担当する部署が担っている。その中で、もし同僚が真摯に「感染を疑う」というのであれば、その検査がなされるように全力を尽くすというのが筆者の基本的態度だ(幸いにして、この基本的態度は筆者の所属組織内において共有されており、この点でストレスを感じることはない)。

 一部の医療者の間では、「無症候の患者にもPCR検査を」と、安心と安全を混同した主張がまかり通っているらしい。様々な学会が、こぞって無症候者へのPCR検査の保険収載を要求しているとも報道されている。筆者は微力ながらこれに抵抗しているわけだが、それは「疑ったらやる」というラインを守るためだ。

 前回のコラム(「無症状者へのPCR検査を保険収載すべきか?」)でも書いたが、「検査をできるようにせよ!」と叫んだところで、検査の数が増えるわけではない。まずは何が検査の数を規定しているのかを冷静な目で見つめる必要がある。PCR検査のボトルネックは大きく2つの場所にある。1つは、検体を採取する場所。もう1つは、検体に含まれる遺伝子を増幅して検出する、すなわちPCR検査を実際に回す場所である。

検体採取というボトルネック

 何人かの芸能人によって可視化されたことだが、症状があるのになかなかPCR検査してもらえない、ということがあちこちで起こっている。これは基本的に、検体採取の場にアクセスできない、という問題のことだ。(前回のコラムで指摘した通り)発熱や呼吸器症状のある患者そのものの診療の場を医療機関自身が絞ったことも大きな要因だったと考えられるが、各地の医師会が主体となってかかりつけ医によるフォローとPCR検査を組み合わせたPCRセンターを次々と立ち上げているので、今後は検体採取のアクセスの問題は徐々に改善されていくことが期待される。検体採取を行う場所も従来の医療機関にとどまらず、広大なスポーツスタジアムなどが検討されている。狭い医療機関に大勢の患者が殺到したらどうしよう、という懸念から帰国者・接触者外来を開設できないでいた医療機関の先生方のアイデアと行動力がこのような解決策につながったものだろう。

検査の実施を規定する要素

 しかし、(例えば)サッカースタジアムでのドライブスルーで検体採取の問題がクリアできたとしても、もう1つ、検査を滞らせるポイントがあった。それがPCR検査を実際に回す場所の問題だ。これを考える前に、PCR検査を実際に回しているのがどこなのかを押さえたい。

 PCR検査を実際に担っているのは、地方衛生研究所、大学やそれ以外の大規模病院のインハウスの検査室、そして民間の検査会社の3つに大別できる。このうち、地方衛生研究所は検疫を含めた行政検査を扱っており、(特に都市部では)診療の中で採取された検体を増やす余裕は、もはやない。大学は、一概に言えないが、インハウスでできるところは一日当たり数十から100検体ぐらいまでは処理能力があるだろう。これらインハウスの検査室では、自施設で採取したものに加えて、周辺の医療機関からの依頼にも一部応えている場合もあり、有症状者という検査前確率の比較的高い集団の診断に関してかなり重要な機能を担っている。

 大学等のインハウス検査室に加えて、民間の検査会社(いわゆるコマーシャルラボ)の役割もますます重要になる。大学とのコネクションが直接なかったり地理的に離れていたりする医療機関は、COVID-19を診る可能性がある以上、このコマーシャルラボなくしてはもはや診療できない。筆者自身が外来勤務させていただいている医療機関でも、当初は行政に依頼するしかなかったPCR検査がこのコマーシャルラボのお陰で実にスムーズに検査できるようになり、そのことでかなり安心して有症状の患者を診察できるようになった。しかし、コマーシャルラボは、初期には首都圏にしかなかったことからも分かるように、一定の需要がないとビジネスとして成立しないという側面がある。今のところ、検査して翌日には結果が返ってくるのは都市部に限られている。地方でもコマーシャルラボに検体を提出することはできるだろうが、検査ができる都市部まで検体を輸送するための時間(とコスト?)がプラスアルファでかかることになると考えられる。

ウイルスのPCRはそんなに簡単なもんじゃない

 では、「PCR検査を回す場がボトルネックになる」とはどういう事か。最大の問題は人である。ウイルスのPCR検査は、医学界のお偉方が考えるほど簡単ではない。

 PCRという技術自体は、様々な医学・生物学研究の場で用いられているので、特に大学病院のような研究機関を併設している医療機関では多少以上の経験を持っている人材は少なくない。しかし、例えば人のゲノムを増幅する技術として使う場合と微生物のそれとではかなり大きな違いがある。また、微生物の中でも細菌とウイルスでは、求められる繊細さのレベルやポイントが意外に違う。さらに、同じウイルスのPCRであっても、日常の臨床業務としてやっている場合と研究目的でやっている場合とで、必要とされる検体の扱いや、業務処理等の精度管理の習熟がかなり違う。「PCRなんて学生でさえ研究で使っているんだからその応用でできるだろう」というのはかなり危うい短絡的な考えと言わざるをえない。ウイルスのPCR検査を担当する臨床検査技師一人一人の顔が思い浮かび、彼らがどのようなトレーニングや経験を経てきたのかを知っていれば、軽々に人をあてがって済むという発想は到底出てこないはずだ。

 陽性を確認するためではなく、陰性を確かめる目的で、PCR関連機器を購入する動きが一部の医療機関にある。しかし、急ごしらえの体制ではミスを連発することになり、現場の混乱に拍車をかけるだけだろう。インフルエンザを初めとするウイルス性呼吸器疾患研究の第一人者であり政府の専門家会議のメンバーでもある防衛医大教授の川名明彦先生でさえも、自施設のインハウス検査の精度管理に関して、かなり慎重な姿勢を示している。実際、地方衛生研究所で検査ミスが起こったことが報道されてもいる。不慣れな人員で強引に検査を拡大させれば、大学などのインハウス検査室でも同じことが起こる可能性はかなり高いだろう。

無症状者へのPCRを保険収載すれば何が起こるか

 無症状者への検査がどんどん拡大すれば、早晩、大学や大規模病院のインハウスでさばききれなくなる。そうなれば、これらの検査はコマーシャルラボへ本格的に流れ込むだろう。一度コマーシャルラボへの流れができてしまえば、インハウス検査室を持っている大学などの医療機関のみならず、都市部も地方もほとんどすべての医療機関が皆こぞって片っ端から無症状者の検査を出すことになる。それが基本になってしまえば、PCR検査しない限り手術も入院もできないと、患者の命を盾に取るような医療側の言い分がまかり通ることは目に見えている。コマーシャルラボは、インハウスや地方衛生研究所よりもウイルスのPCR検査に慣れているとは言え、請け負う数が桁違いになる。到底すべてを滞りなくこなすことはできない。その時、今とは比べ物にならないほどの検査遅延が起こることになる。

 その中で有症状者の確定がさらに遅れる。その分だけ隔離が遅れ、家族内感染をはじめとする新たな感染が起こる。また、無症状者が「陰性」のラベルをもらえるまで「陽性者かもしれない人」として扱われるので、医療現場の動きは恐ろしく重たくなる。誰がこのような状況を望むのだろう。

 人員の問題以外にも試薬・資材(特に綿棒)の問題もある。これまでのところ、筆者が直接確認できる範囲では在庫が底をつくような状態にはなっていないものの、供給不安の声はすでにかなり聞かれている。先の京都2大学病院の共同声明でも、試薬の確保が要求されていたが、つまりそれだけ供給が滞る可能性があるということを示している。声明では、この試薬を「無症状者への検査に回せ」と要望しているわけだが、果たしてそれが限りある資源の最適な配分だろうか。筆者は到底そうは思わない。

 COVID-19の問題が報道され始めてから、医療現場では、いち早く発熱患者や呼吸器症状のある患者を拒否する動きが起きた。今は、症状がない患者をCOVID-19ではないかと心配し、全ての患者を拒否する状況が出始めている。でもそれでは医療者も商売にならないからと、何とかしてCOVID-19のいない空間を作り出し、「安心」して診療に臨みたいという切実な要求がある。その安心を手に入れるためのPCR検査なのだ。

 しかし、PCR検査がもたらす安心はどれほどのものだろう。感度7割との報告もあるが、当然ながらこれは手技にも依存する。さらに低いかもしれないし、意外に高いかもしれない。知見は確立していない。

 このことから分かることは、PCR検査は基本的に「陽性」が意味を持つ検査なのだ。「陰性」がほしくて“PCR狂騒曲”に踊らされているのは滑稽ですらある。本当に医療者が追及すべきは安全であって、見せかけの安心ではない。しかも、この安心が無症状者へのPCR検査によってしか得られないとするならば、医療現場のみならず社会全体の安全を犠牲にすることになる。このような愚策に、国の政策担当者は耳を貸す必要はない。

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著者プロフィール

森井大一(もりい・だいいち)●大阪大学大学院医学系研究科博士課程。2005年3月大阪大学医学部卒業、同年4月国立病院機構呉医療センター、2010年大阪大学医学部附属病院感染制御部、2011年米Emory大学Rollins School of Public Health、2013年7月厚生労働省大臣官房国際課課長補佐、2014年4月厚生労働省医政局指導課・地域医療計画課課長補佐、2015年4月公立昭和病院感染症科を経て今に至る。2018年から阪大病院の感染制御部医員も兼務。

連載の紹介

森井大一の「医療と経済と行政の交差点」
救急医として医師のキャリアをスタートさせた後、感染制御に越境し、公衆衛生を学んだ上で、厚生官僚を経験。現在はノーベル賞受賞で話題の行動経済学を医療に応用すべく研究を進める筆者に、 医療と経済と行政が交わる地点に立って思いの丈を語っていただきます。

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