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無症状者へのPCR検査を保険収載すべきか?

2020/04/17
森井大一(大阪大学感染制御学)

 4月15日、京都大学医学部附属病院と京都府立医科大学附属病院が共同声明を出した。要望はPCR検査に関するもので、無症候の患者への適応拡大と、検査に要する個人防護具と試薬の確保を求めるものである。

 この声明文を読んで思い出したアメリカン?ジョークがある。それは筆者が、外国の大学院で医療政策について勉強していた時に、当時の指導教官(リチャード・サルトマンというヨーロッパの医療制度の専門家)から聞いたものだ。多少うろ覚えだが、おおよそこんなような話だ。

 今、あなたは無人島に一人取り残されるという絶体絶命のピンチに陥っている。そのあなたの手元には一つの缶詰がある。ミネストローネの缶詰だとしよう。しかし、そこには缶詰を開けるための缶切りがない(この缶詰はプルトップがついていない)。それを食べる(飲む?)ことができれば、ひとまずの空腹をしのぐことができるし、あなたのお腹はすでにペコペコだ。あなたはどうしてもその缶詰を開けたい。さぁ、どうする?

 この問題の答えは、「あなた」が物理学者である場合と、化学者である場合と、経済学者である場合で3つに分かれる(と、そのジョークでは説明される)。物理学者であるあなたは、高いところから缶詰を落として開けようとする。化学者であるあなたは、缶詰を火にかけ、中身が膨張する力で開けたらどうかと考える。でもどちらの方法で缶を開けたとしても、中身がこぼれて肝心のミネストローネのほとんどは食べられなくなってしまうかもしれない。そこで、経済学者であるあなたがつぶやく。「問題の解決は簡単だ。ここに缶切りがあると仮定すればいいんだよ」。これは、経済学という学問が実に無理やりな仮定(人の幸せはある財の消費量の対数関数、とか)に基づいて諸事を論じていることをやゆするジョークなのである。

PCR検査が少ないことは確かに問題

 新型コロナウイルス感染症が大きく取り上げられるようになって以来、PCR検査へのアクセスの悪さは一貫して大きな問題であり続けている。そのことで、患者も医療者も大きな不満を蓄積させているのは間違いない。4月7日の緊急事態宣言に合わせて出し直された政府対策本部の基本的対処方針を見ると、発症から感染症法に基づく報告日までの平均日数は9日であったとのことだ。発症してから4日間は受診を控えるように国が示していることもあるが、この分を差し引いても5日間は検査したくてもできない期間があるということになる。例えばインフルエンザを疑って、5日後に検査するということはあり得ない。PCR検査がもっとスムーズにできれば、患者をより早く見つけて、より早く隔離できる。そのことで、他の人々への曝露を減らすこともできる。「人との接触を7割減らせ、8割減らせ」と大号令が出ているが、本来は感染している人に会わなければいいのだ。誰が感染しているか分からないから、その分会ってはいけない人の割合が大きくなっているにすぎない。症状がある人を速やかに検査して他の人との接触を断つというのは、ものすごく大きな経済的・社会的犠牲を払ってみんなで一緒にステイホームをやるよりも、余程スマートな戦略のはずなのに。

原因は医療側にある

 それでも、PCR検査が足りないままここまできた。なぜか? 最大の原因は、医療者がPCR検査をしたがらなかったからだ。検査が増えないのは国の怠慢ではない。国は、早々にPCR検査の保険収載を決めた。患者負担もないように配慮されている。帰国者・接触者外来でしか検査が出しにくいという難点はあるが、保健所が医療機関に対して帰国者・接触者外来を引き受けるよう要請しても、少なくない医療機関がこれを拒否したと聞いている。また、引き受けた場合でも、それを公表することを拒んでいる。公表すれば、検査を求める患者を集めることになると恐れたからだろう。自施設検査だけでなく、外注検査も十分に増えていない理由がここにある。

 本音では多くの医療機関は、コロナを診たくない。コロナが混じっているかもしれない一群の患者も診たくない。結果として、発熱や呼吸器症状のある患者そのものの診療が拒否されている。まるでばい菌扱いである。発熱難民、肺炎難民が報道で取り上げられるのを見られた読者諸氏もおられるだろう。

 確かにPCR検査はどこでもできる検査ではない。しかし、大学や(国立の)研究所に付属する医療機関であっても、自施設内での検査を行っていないところは多い。「できるけどやらない」ところが一定数あるのだ。2月中頃に文部科学省から通達があり、厚労省から直々にPCR検査を引き受けるよう要請された医療機関も多いが、それでも検査数は国の目論見通りには増えていない。理由は同じ。コロナを診たくないのだ。

 これでは検査は増えない。医療機関ではなく行政が検査すればいいという方もおられるかもしれないが、全く現実的ではない。行政機関の検査能力は、とっくに限界に達している。現在ではほとんど世界中と言っていいほど広範な国々からの帰国者について全例PCR検査が実施されているが、これらの行政検査ですら検査可能な大学等の研究機関や医療機関が(行政からの要請に基づいて)その一部を代行している。ここで診療現場からの検体を行政で処理するとなれば、強制的に人員を配置するしかなくなるが、それはいよいよPCRができそうな人に行政が赤紙を出すと言うに等しくなる。どのような根拠法令でこれが可能になるのか、筆者には分からない。

 ここまでをまとめると、PCR検査の数は確かに少ないが、医療機関が協力しないのでこれ以上増えない、ということになる。保険収載の問題ではない。別の言い方をすれば、無症状者の検査を保険収載しても、引き受け手がないので検査の総数自体は増えようがない。

限りある資源としてのPCR

 ここでようやく上段のジョークの比喩に戻ることができる。PCR検査はいくらでも実施可能である、という仮定を置けば、無症状者への検査拡大も大いに結構だ。それができれば問題の多くは一気に解決する。手術や分娩に伴う曝露を避けるために、スクリーニング検査としてのPCR検査を実施することもできるだろう。ジョークの中の経済学者ならそれで十分だ。しかし、我々は医療者である。魔法の杖(経済学者にとっての杖は関数だが)をいくら仮定してみても、実際にそれを手にできなければなんの意味もない。

 繰り返しになるが、PCR検査のキャパシティは足りていない。そして増やそうとする取り組みはなされているが、それでも増えていない(その原因は医療側にある)。検査のキャパシティ自体をどうにも増やせないのなら、次に考えるべきことは、限られたPCR検査という社会資源をいかに有効に活用するべきか、である。厚労省の新型コロナウイルス対策推進本部が3月1日に出した事務連絡(以降の行政文書で「対策移行の事務連絡」と呼ばれているもの)の中で、地域で疑い症例が増えた段階でのPCR検査の位置づけがすでに書かれている。これによると、「PCR等検査は、重症化防止の観点から、入院を要する肺炎患者等の診断・治療に必要な検査を優先する」という考え方がすでに明確に示されている。検査できる数に限りがある以上、検査前確率が高い症例を選んで検査するのは当然のことだ。

 この事務連絡から1カ月半が経過したが、PCR検査のキャパシティをめぐる状況はそれほど大きく変わっていない。このような状況の中で、無症状の患者に保険適応の検査を開放することになれば、「入院を要する肺炎患者等の診断・治療に必要な検査」がさらに押しやられることになる。それでいいのかどうか、医療者だけでなく、国民全体で考える必要がある。

無症候者に検査したい理由

 それでは、なぜ冒頭の共同声明のような、国の考え方と真っ向から対峙する考え方が出てくるのだろうか。無症候の患者は当然、有症状者に比べて検査前確率が低くなるのだが、それでも「陰性」を確認したい、それなりに検討すべき理由があるのだ。

 何よりもまず目の前の患者が陽性と分かれば、自分では診察せずに済む医療者がかなりたくさんいる。どこかに送ってしまえばいいのだ。目の前の患者がみんな陰性ならば、自分が患者から感染するリスクは小さくなる。これはかなり説得力のある理由である。しかしこれだけが理由なら、無症候の患者のPCR検査を保険収載する必要はない。医療者の安全はリスクに応じた個人防護具で守れるからだ。それでも目の前の患者が陰性であることを確認したいならば、医療者は自分の負担で検査をすればいい。

 あるいは別の理由として、無症候感染者と他の患者との交差を避けることで、患者間の感染を防ぐこともできるかもしれない、だから無症状の患者にPCR検査をする、というのもあるだろう。これは確かに重要な点だ。しかし、患者間の感染を防ぐ手段はPCR検査だけではない。感染者がサージカルマスクを適切に使用して、手指衛生を適切にしていれば、この感染者と接触した者であっても濃厚接触者とはならない。高頻度接触面のこまめな清拭・消毒もリスクを下げることにつながる。これらの基本的対策はPCR偽陰性に対しても効果がある。もちろんこうした対策によってリスクがゼロになるわけではない。しかし、元から検査前確率が低い患者のリスクをさらに(PCR検査によって)下げるというメリットが、入院を要する患者の発見を遅らせるという見えざるコストと同等以上にあるものなのかどうかは考えなければならない。本当に何度も繰り返すが、PCR検査のキャパシティは増えていないし、残念ながら増えない現状である。

 共同声明に書かれたその他のリスクについては、PCR検査がなくてもどうにかなるものが多い。例えば、エアロゾルを発生する手技については、全てのケースでしかるべき防護具を付けて行えばよいし、PCRの偽陰性問題を考えればそうした方がむしろ安全である。防護具がないという意見もあろうが、陽性患者を診る時でさえも、現場は様々な工夫で対応している。国もN95マスクの再使用を認めているし、ガウンやフェイスシールドを医療機関内で作ったり他の物品で代用したりしているところも少なくない。いずれも平時であれば、決して望ましいこととは言えないが、理想的な状況を諦めて次善の策で対応しなければならないところまですでに日本のCOVID診療の現場は追い込まれている。重症患者の検査を圧迫することと、これらの防護具を節約することを天秤にかけた判断が必要である。また「無症候性ウイルス保有者自身が手術後に肺炎等を発症」するリスクについても言及されているが、潜伏期間が心配なら、その分だけ待てばいい。

 ついでに言うと、共同声明に書かれた「院内感染が発生した場合には、感染が拡大するのみならず、診療機能の抑制・停止に直結します」という文言には、強い違和感を覚える。この文言からは、全例PCR検査をさせなければ、診療機能を抑制・停止しても文句は言わせない、というニュアンスすら感じ取られてしまう。

 しかし、本当に院内感染が、診療機能の抑制・停止に直結しているのだろうか?先日も軽症から重症まで地域の患者を数多く受け入れている感染症指定医療機関で、医療者への感染が明らかになったが、それでもその医療機関は極力機能を維持したまま体制を立て直そうとしている。やむなく患者の受け入れを止めた場合でも、「院内感染が発生した場合」だからと、短絡的に、「診療機能を抑制・停止」したわけではないと聞く。

 医療全体がこのような崖っぷちに追い込まれる前に、どうすればいいのかを冷静に考える必要がある。すでに述べたことの言いなおしになるが、限りあるPCR検査の効率的な運用は欠くことができない。今、この現状でスクリーニング検査を保険収載すれば、医療者は自身の安心のためにスクリーニング検査を優先させがちになることは明らかだ。限られたキャパシティの中では、検査前確率が低い検査が、検査前確率の高い有症状者の検査数を凌駕し、真の患者の捕捉を遅らせることになりかねない。

 PCR問題を考える上では、そのキャパシティ拡充を阻害している原因をまずきちんと押さえたい。その上で、キャパシティに限りがある(ないしはすぐには拡充できない)という前提の下で、どのような症例を検査するべきなのかという順位付けについて(医療者の声だけできめるのではなく)社会全体で合意していく必要がある。筆者としては、国が示している方向性は大きく間違っていないと思うし、それを踏まえた上で医療機関がPCR検査の拡充に主体的な役割を果たすべきと考えている。

 その意味で、希望を抱かせる動きもあるようだ。東京では、東京都医師会が中心となり、4月18日にも第1号のPCRセンター(仮称)が稼働する運びとなっているらしい。かかりつけ医の診察をベースにしながら、そこでコロナが疑われれば保健所を介さずにスムーズにPCR検査ができる仕組みである。4月後半以降、順次拡大され20か所以上設置する方針だという。検査機能が充実することで、少しでも早く患者が発見され感染拡大のブレーキにつながり、かつ医療崩壊を未然に防ぐことが期待される。

 共同声明の求めるPCR検査拡充、試薬・防護具の確保に反対する人はいない。防護具がなければ標準予防策を取ろうにも難しいと言うのは、その通りだ。ないならないでどう対処するか、という実践的なことばかり書いたが、そもそもなぜあるべきものが不足してしまうのかという根本的な問題は捨て置けない。この点は、本コラムの趣旨である医療と経済と行政の交差点ど真ん中のテーマでもある。今、これを議論してみても始まらないが、いずれやってくる収束の後に改めてじっくり考えてみたい。

 共同声明がどのような方々の手によって書かれたものなのか、筆者には知る由もない。しかし、大きな大学病院2つの名前でこの声明が出された以上、これについての社会の様々な反応を想定されてのことと思う。共同声明を書かれた方々が筆者のような何物でもない者の拙文を目にされる機会もないとは思うが、もし、読まれることがあるのなら、きっとたくさんの反論があるだろう。非常に重要な問題を含んでいると筆者も感じているので、是非公開でしっかりと理性的な議論をさせていただきたい。日経メディカルの編集部には、反論があれば是非掲載していただくようにお願いした。

 また、この問題は、決して医療者の中だけで議論してはいけない問題である。したがって、今回の記事については、日経メディカルの会員にとどまらずオープンにしていただくように、これも筆者からわがままを言わせていただいた。筆者のわがままにお付き合いいただいた日経メディカル編集部の皆様に深謝する次第である。

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著者プロフィール

森井大一(もりい・だいいち)●大阪大学大学院医学系研究科博士課程。2005年3月大阪大学医学部卒業、同年4月国立病院機構呉医療センター、2010年大阪大学医学部附属病院感染制御部、2011年米Emory大学Rollins School of Public Health、2013年7月厚生労働省大臣官房国際課課長補佐、2014年4月厚生労働省医政局指導課・地域医療計画課課長補佐、2015年4月公立昭和病院感染症科を経て今に至る。2018年から阪大病院の感染制御部医員も兼務。

連載の紹介

森井大一の「医療と経済と行政の交差点」
救急医として医師のキャリアをスタートさせた後、感染制御に越境し、公衆衛生を学んだ上で、厚生官僚を経験。現在はノーベル賞受賞で話題の行動経済学を医療に応用すべく研究を進める筆者に、 医療と経済と行政が交わる地点に立って思いの丈を語っていただきます。

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