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第6回 炎症は病気のシグナル(その2)
慢性的な炎症にさらされると命取りになる

2013/10/30
デイビッド・B・エイガス氏

 フットボールのスター選手に憧れる人は、オーウェン・トーマスの悲劇を知れば、さらに憂鬱になるに違いない。身長188センチ、体重108キロのトーマスは、ペンシルバニア大学のチームでラインマンとして活躍し、将来を期待されていた。しかし、2010年の春、彼は学外のアパートで首つり自殺をした。友人や家族によると、彼には珍しく、情緒不安定になった直後のことだった。うつ病の既往歴はなかった。脳を解剖してみると、慢性外傷性脳症(CTE)の兆候が認められた。CTEは、亡くなったNFLの選手、20人以上に共通する疾患で、うつ病や衝動制御障害につながる。主にボクシングやアメフトの選手に見られ、NFLでは過去10年間に2人の選手が自殺していた。

 トーマスの脳を調べた医師たちは、大学生の自殺が多いことを考えれば、彼の自殺を脳の損傷のせいだと決めつけるべきではない、と警告した。それでも医師たちは、彼が21歳の若さでCTEを発症していたことは、脳の損傷が死因であることを示唆しており、また、NFLのベテラン選手に見られる脳障害が、若い選手にも起こり得ることを語っている、と述べた。

 競技場の中でも外でも、トーマスが脳振とうを起こしたことはなく、頭痛を訴えることさえなかった。とは言え、彼は、少々の痛みは我慢してもフィールドにとどまろうとするタイプだったそうだ。CTEになったのは、脳振とうに耐えて試合を続けたせいか、あるいは、脳が発育する時期も含め、十数年間にわたってフットボールを続け、何度となく脳に強い打撃を受けたせいなのだろう。

 トーマスはすべて順調で、自殺をするような学生ではなかった。学業も優秀で、ペンシルバニア・ウォートン・スクール(全米屈指のビジネススクール)に通っていた。新人戦を経てすぐ代表になり、2シーズン活躍し、2009年にはアイビーリーグ2軍戦を勝ち抜き、チームの優勝に貢献した。カリスマ性のある人気者で、将来、成功するのは間違いなかった。自殺した時、遺書はなく、ポケットに携帯電話を入れたままだった。衝動的に首をつったものと思われる。衝動を抑えられなくなるのはCTEの特徴である。CTEになると、アルツハイマー患者の脳に見られるアミロイド斑に似たプラーク(タンパク質の集まり)が前頭葉に生じる。このような邪魔なタンパク質で脳が覆われていたため、トーマスは理性的に考えられなくなったのだ。

 もっともこの話の要点は、トーマスを死に追いやった原因は何かということではなく、人間の体(この場合、脳)が、慢性的な炎症に対して、いかに脆弱か、というところにある。フットボール選手としてトーマスが活躍していた間、彼の脳は絶えず炎症を抱えており、ついには化学的に変質した。自殺のきっかけは、遺伝子や精神的ストレスだったのかもしれないが、根底にある炎症は無視できない。炎症は継続的な、場合によっては壊滅的な損傷を脳にもたらすのだ。たとえそれが若い脳であっても。(次回に続く)

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著者プロフィール

デイビッド・B・エイガス氏 米国南カリフォルニア大学(USC)ケック医学校教授、USCビタビ工学校教授、USCウエストサイド・がんセンター長および応用分子医学センター長。プロテオミクスとゲノミクスを応用した癌予防法の開発に取り組む。アップル創業者である故スティーブ・ジョブズ氏の担当医も務めた。

連載の紹介

ジエンド・オブ・イルネス ~ がん治療医がたどり着いた「病気の真実」
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