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“イレッサ”ある分子標的治療薬の軌跡 第2回
迷走する“イレッサ”
近畿大学医学部腫瘍内科 特任教授 西條 長宏

2012/08/01

 この結果は2001年欧州臨床腫瘍学会(ESMO)に、近畿大学医学部教授の福岡正博氏(現和泉市立病院特別顧問)により報告された。対象患者はいずれもプラチナを含む標準的化学療法投与を受け無効であった患者で、通常このような対象に対する第1相試験の場合は、1~2名「本当に効いているかな」という程度の腫瘍縮小を認めるだけということが多かったから、かなりの好成績を出したことになる。

 上田龍三氏(名古屋市立大学大学院医学研究科教授)との対談(2001年11月22日号メディカルトリビューン)で、筆者は「(前略)日欧2極の合同で行われた第1相試験でZD1839は初期段階から縮小効果を示すことに非常に驚きました」と発言している。

 このような事実に基づく素直な発言をメディアは「専門家が夢の薬と煽った」と批判してきた。極めて心外であり、悪意があるとしか思えない。胸部X線、CT所見を見て「本当に同じ患者のデータかな」と驚いたことはまぎれもない事実である。複雑なシグナル伝達過程の1カ所に作用する経口薬がこのように強力な抗腫瘍効果を示すことは、まさに常識外のできごとであった。

 この対談で聞き手となった上田氏との間で、今から考えると大変興味深いやり取りがあったので紹介する。

 上田氏は「ZD1839はチロシンキナーゼ阻害剤なのでEGFR発現の高い扁平上皮がんにおいて腺がんよりも高い効果を示すように思います。しかし今のところ、わが国ではむしろ腺がんによく効いているとのことですが、これについてどのように考えていますか?」と質問している。

 この質問には、重要なポイントが2つ含まれている。1つは、「EGFR発現の程度がZD1839の効果と関係ないのではないか」という点であり、もう1つは「常識とは異なる臨床成績が得られているのではないか」という点である。

 この質問に対し筆者は(1)肺の腺がんといっても上皮性がんのためEGFRを発現していることが多く、効く可能性は十分にある、(2)症例数が少ないために必ずしも腺がんに対してよりよく効くとは言えない、(3)プラチナ前治療によりEGFRの自己リン酸化が亢進するため、前治療のある患者にはよりよく効く可能性もある─というかなり見当違いの回答をしている。

 上田氏の質問に潜んでいた重要な問題を科学者としてもっと真剣に考えるべきであった。EGFR変異がEGFR-TKIの標的であることが報告される2年半前のことである。

 この対談については後日談があり、筆者がいわゆる「“イレッサ”訴訟」の国側の証人尋問にボランティアとして出席した際には、原告側弁護士がこの対談を材料にしつこく追及してきた。この対談は“イレッサ”を製造販売するアストラゼネカがスポンサーであったために弁護士としては筆者の利益相反を追及しようとしたのである。

 この種類の対談では、当然ながら講演料などの謝金が発生する。国家公務員であった筆者も国家公務員倫理規程に基づき受け取っているし、国に報告もしている。しかし、これを言わせると裁判官の心証が原告側にとって良くなるそうである。

 この対談では筆者は終始ZD1839としか発言せず“イレッサ”とは一度も口にしていない。他にも慢性骨髄性白血病の分子標的治療薬イマチニブを開発コード名のSTI571と発言し、商品名の「グリベック」とは言っていない。

 STI571の意味を理解できない弁護士が、何故ZD1839を“イレッサ”と理解できるのか、法廷では逆質問してみたが、弁護士はグーの音も出なかった。その時はボランティアとして純粋医科学的見地から協力している証人と営業ベースで見せ場を作ろうとする弁護士の立場は異なると感じた。

 第1相試験での奏効例の経験は肺がん研究者に大きな期待と希望をもたらした。その頃になって乳がん領域でHER2に対する抗体薬トラスツズマブの市販後調査成績が集まりつつあった。この時代のトラスツズマブは、全身状態が悪い患者を中心に投与されていた事情もあり、結果的に多くの死亡報告を見る機会があった。

 対談で筆者は「従来の抗がん剤は毒性が強いため全身状態の悪い患者に投与できませんが、分子標的治療薬は毒性があまり強くないため(治療)対象とならない患者にも投与されて、そのような患者の死亡が報告されているのではないか、と推測されます。ZD1839も副作用が少ないため、このような使い方をされてしまう可能性があることが危惧されます」と述べている。

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