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寄稿◎家族が37.4℃の発熱、悲壮感に拍車
COVID-19に罹患した医師の証言
ストレッチャーのままERの通路に、日本もそうならぬよう準備を

ストレッチャーのままERの通路に

 3 月25 日(水)。朝から37.8℃。高熱ではないが、咳が時々出るのが気になる。臥位になると咳嗽が出現し、SaO2が下がることに気が付く。低い時は89~90%まで下がっており、酸素化に問題があることに気が付く。呼気終末に捻髪音が聞こえることに気が付く。自分では胸膜炎と胸水を予想し、電話診察の際に胸痛・咳嗽・SaO2の低下を説明すると、ERを受診することを勧められた。ただしUber、Taxiなど公共交通機関は使わないように指導される。車は持っていないため、徒歩でERに向かう。幸い歩いて10分くらいであった)。

 ERはとにかく待たされるので、この消耗した状態で病院の外にまで溢れる行列に並ばされて耐えられるだろうかと不安だったが、意外とテレビで見るような病列にはなっていなかった。

 受付で自分はPCR陽性であることを告げると、待合室での感染拡大を防ぐためであろうか、優先的にERの中の半個室に収容された。午後1時過ぎだった。ERは咳をしている患者で溢れており、通路は収容できなくなった患者が乗ったストレッチャーで埋め尽くされている。

 2時間近く待ち、やっとレジデントが問診に来た。その後ERの常勤医師が診察に。レントゲンと採血、胸部のスクリーニングエコーがオーダーされる。午後5時ごろアセトアミノフェンを服用し、採血・ポータブルレントゲンを撮影。エコーでは胸水はなく、なぜ咳嗽が出るのか不思議に思った。その後、診察室が足りなくなり、私もストレッチャーのままERの通路に寝かされた。そのまま連絡がなく放置されていた。同僚に頼み、レントゲン・採血の結果を教えてもらい、肺炎であることを告げられ驚いた。

 午後10時、突然入院の部屋の準備待ちのため、別の場所に移動するとtransporterに言われ、入院するほど重症なのかと呆然とする(米国では相当重症でない限り入院はさせてもらえない)。入院を指示した医師の説明を聞きたい旨を伝えた。自分としては、発熱が始まった家族を置き去りにして入院するのはとても受け入れ難かった。

 入院を指示した医師が到着。「発症から7~10日から重症化する症例が多く、またその変化は急速に起こり、挿管・人工呼吸器・ECMO対応へと悪化することがしばしばあるため、今後悪化するのか改善するのか判断するために入院したほうが良い」と説明をされた。その説明内容は既に毎日ネットを見ていたので知ってはいたが、このまま入院し、二度と退院出来なくなる可能性があると思うと恐怖でしかなかった。しかし、自宅に帰ってから急性増悪しても救命できない可能性や、いざという時に満床で入院ができず、たらい回しにされる可能性を恐れ、入院することにした。家族に電話をした。家族は泣きながらも、入院して治してきて欲しいと言ってくれた。

 ERでさらに数時間待ち、日付が変わってから入院設備のある建物にストレッチャーで移送された。もう病床の70%は、COVID-19の患者で埋まっていると教えられた。ちなみにベッド数は千床程度の大病院である。恐ろしいことが起こっている。

 3月26日(木)。午前1時30分、病室に到着。2人部屋で、手前には酸素を吸入している30歳代の男性がいた。呼吸状態は私より悪そうであった。看護師さんから入院の書類の記入をするよう指示される。このあたりのプロセスは日本と似ている。夜食が欲しいかと聞かれ、朝から何も食べていなかったため大喜びでサンドイッチをいただいた。

 酸素投与も可能とは言われたが、酸素を投与されると、すなわち重症化であると認めることになるし、退院の機会が遠のくような気がして遠慮した。

 1.5Lの補液のルートを右肘に入れられ、これを10時間で投与すると言われた。 

 トイレは病室の中にあるが、輸液ポンプが付いているため、排尿には尿瓶を使用した。歩かなくても用がたせるのはなんと快適なことか。今思うと、家に持って帰ればよかったと後悔をしている。

 自分が入院した精神的ショックと、臥位になると咳が出ることでなかなか寝付けないまま朝を迎えた。

 朝9時、検温があり37.1℃。発症して10日目、初めて解熱傾向が見られた。午前10時ごろ、その日の病棟担当医師が来室。室内で数分足踏み動作をしてSaO2を観察したが、88 %は保てたため退院できるかもしれないと言われた。採血をもう一度行い、心筋炎を否定するためのBNPの測定、前日異常高値であった肝酵素と腎機能・CBCの再検査を行った。

 感染対策のため、その後その医師とは一度も顔を合わすことはなく、以降の会話は全て携帯電話となる。夕方検査結果で、肝機能異常の改善、腎機能も改善傾向にあり、呼吸症状も悪化はしていないので退院しても良いとの連絡があった。AST/ALTは151/168U/L、CRPは85.91mg/L(8.591mg/dL)、ビリルビンは正常だった。LDH 339U/L、 Procalcitonin 0.06 ng/mL。

 午後9時40分、退院となった。最終検温では37.1℃だった。

2時間ほど寝ても直ぐ咳嗽で目が覚める

 前日と比較して、随分体調が良くなっていた。頭痛も軽減した。入院の効果があったのかどうかは不明であるが、とにかく初めて改善傾向が見られて九死に一生を得たと思った。

 しかし退院したものの、その晩から咳嗽は悪化し、ほとんど睡眠がとれない。朝の5時くらいまで寝ることができず、なんとか2時間ほど寝ては直ぐに咳嗽で目が覚める。

 3月27日(金)。朝の体温は36.0℃。こんなに嬉しいことはなかった。咳嗽は肺炎が完治するまで数日は続くと医師に言われていたので、そういうものだと諦めた。熱がないのが救いであった。精神的にも体力的にも、熱がないと随分楽である。脈も80未満になってきた。夜はなんとか半臥位で寝ようと試みるが、普通のベッドではなかなか難しく、結局朝方まで寝られない。

 家族は38℃の熱発があり、今度はそちらが心配になる。

 3月28日(土)。朝は36.4℃。咳は徐々におさまってきた。家族の発熱は昨日の38℃がピークで今日は37.4℃まで下がった。しかも昼間は解熱しており、自分と比べて軽症であると思われ少し安心した。

 3月29日(日)、36.4℃。家族も解熱した。このまま時間と共に軽快することを切に願う。

 3月30日(月)。これ以降、発熱することはなかった。咳嗽は4月5日くらいに消失した。

 3日以上の無発熱・症状の消失・発症から2週間以上経過していること。この3つの条件をもって寛解とみなすので、私は寛解したと思われる。

体温の推移(平熱は36℃未満)

死が頭をよぎるほどの体験

 今思うと、入院した第9病日から第10病日が運命の分かれ道であったと思います。あそこから肺炎が悪化すると、酸素投与、挿管、人工呼吸・透析・ECMOという重症化コースに移行していたかもしれないと思うと、いまでも恐ろしくなります。あの時の恐怖は当面忘れることができません。

 死が頭をよぎるほどの体験をしました。退院後しばらくは、あの時の恐怖を思い出す度に涙が出ました。最近はやっと、冷静に当時の状況を思い起こすことができるようになりました。もともとマラソンやトライアスロンなど、日頃から運動は欠かさず行っており、非喫煙者でもあった自分ですが、それでもこれだけ大変な思いをしました。高齢の方、基礎疾患のある方はさらに大変でしょうし、また基礎疾患のない方でも安心はできないと言うことを強調させてください。

 日本の状況が深刻になりつつあるのは、日々の情報でニューヨークにも伝わっております。日本では感染症指定病院に患者さんが集約されているそうですが、感染症指定病院以外の病院も、できる準備を始めなければならないと思います。患者数の少ない都道府県の協力も不可欠になると思いますから、今の間に連携を始めなければ間に合いません。医療従事者の皆さんの、そして皆さんの御家族・同居者の安全と、日本の被害が最小限になることを祈っております。

(2020年4月12日、ニューヨーク州ニューヨーク市にて)

COVID-19 ニューヨーク仮設病院(写真提供:ピクスタ)

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