
本社から、自転車15台と電動自転車4台が届いた。ガソリン不足で車が使えず、MRたちは自転車で医療機関を訪問した。
コールセンターも平常対応
本社の震災対応チームは、こうしたMRたちの活動を全面的にバックアップした。被災地で医療機関を訪問するMRと家族のために、水や米、食料品のほか、懐中電灯や電池、使い捨てカイロ、電気ポット、カセットコンロなど多くの支援物資を、仙台事業所などに届けた。ガソリン不足から車での移動が困難との報告を受け、自転車も19台送った(写真)。
医薬品に関する問い合わせに対応する「ノバルティスダイレクト」も活躍した。医療関係者や患者からの電話やファクス、メールなどによる質問を受けるコールセンターだが、スタッフが自宅でも対応できるような体制を整えていたことが功を奏した。
当時、災害に関連する医療関係者からの問い合わせが多かったが、首都圏では大規模な計画停電が実施され、多くの企業は対応時間を短縮するなどの措置を取った。しかし同社は、自宅での問い合わせ対応が可能だったため、「通常通り午前9時から午後6時までの問い合わせに対応できた」(永田氏)。
そのノバルティスダイレクトに3月16日、一通のメールが届いた。福島県に住む患者の家族からのもので、「タシグナ(一般名ニロチニブ)を服用しているが、手元にある薬がわずかになった。いつも薬をもらっていた薬局が原発事故により避難勧告を受けたため、薬が手に入らない」という内容だった。その情報は震災対応チームに届いた。「色々な手段を講じ、異例のことだが自衛隊のヘリが患者の元に薬を届けてくれることになった。患者の命と健康に貢献するという製薬企業の使命が果たせた」と永田氏は言う。
「沿岸地域の復興を見届けたい」
今回の地震で、安否確認に苦労した反省点を踏まえて、同社の医薬品事業部営業本部では、災害時の安否報告と対応指示や連絡などの流れを示した「緊急時における営業部門の対応ガイドライン」を作成した。また、仙台事業所では、「がんばろう東北」と書いたオリジナルベストを着て、気持ちを一つにして医療機関のサポートと復興支援に当たっている。
橋場氏が担当する気仙沼市医師会内の44軒の医療機関のうち、建物が使えなくなったのは29軒。いまだに仮設の建物で診療を行うところもあるが、2012年5月までに36軒の医療機関が診療を再開した。地震後、患者で溢れかえっていた医療機関も、今では落ち着きを見せている。MRの仕事も、震災以前の薬のプロモーション中心に戻った。
しかし、「沿岸地域では漁業が打撃を受け住民が減り、患者数も減っている。借金して診療所を建て直したところもある」と橋場氏。被災地の医療機関ではまだまだ課題が山積みだ。沿岸地域を担当して4年になる橋場氏は、「医療と人々の生活の復興を見届けたい」と話している。

