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大震災の現場から Vol.20
ドミノ倒しの瀬戸際にある相馬市の医療
原発から約40km、福島県相馬市の開業医からのリポート

2011/03/29
浜通りふれあい診療所院長 金田京子

3月19日土曜日(その2)
 心強い激励のお言葉ありがとうございます。地震から1週間、様々な経験をいたしました。 

 知り合いが津波にさらわれ行方不明でしたが、昨日遺体で見つかり、ご焼香にいってきました。遺体安置場には1メートルの間隔も取れないほど多くの棺が並んでおり、身元を確認できても、さらに追い討ちをかけるかのように、お坊さんも避難していてお葬式があげられず、品物もないため、献花も寂しいくらいでした。1週間前までの、物に満ち足りた幸せな港町はどこにいってしまったのでしょうか。  

 しかも、いまだに多くの退避者が出続けており、町はゴーストタウン状態になり真っ暗です。今日回診に行った避難所は元高校の校舎で、隣の南相馬市からの避難者の受け入れ拠点に指定されていますが、暖房もなく、毛布にくるまった方々がほこりだらけの教室に身を寄せていました。

 発熱、アレルギー症状、胃腸炎などの子供を連れた避難者、突然の天災と過酷な移動と住環境の悪化により慢性疾患を悪化させている高齢者、環境悪化による外部流入者の空き巣といった犯罪の増加・・・。住民に移動を促した南相馬市と受け入れ側の相馬市が、ともに責任をゆずりあった結果として、劣悪な環境が、罪もない子供や老人に心身ともに負担をかけ、人間の良心の荒廃を生んでいます。
 
 南相馬市からは、一部の医療関係者が早々に避難し、医療を放棄してしまいました。今、南相馬市立総合病院、渡辺病院、小野田病院、大町病院、すべて閉鎖です。その一方で、勇気ある一部の職員が、南相馬の病院内で孤立しながらも踏みとどまっています。医療の孤島に残された状態です。また、南相馬の開業医も大半が避難していったようです。

 その結果 隣の相馬市へ大量の医療難民が流入し、救急車の出動も倍増しています。

 今回の地震では、不幸にも、数え切れないほどの人々が津波にさらわれてしまいましたが、希望の星は、この1週間に相馬病院で数人の新しい命が生まれたことです。避難所では、親が亡くなってしまった中学生が、炊き出しやトイレ掃除などのボランテイアを、進んで行っていました。

 そして、原発についても、消防庁や自衛隊の方々による、被曝覚悟での決死の消火活動が行なわれ、最悪の状況を回避できそうだという情報が入りました。

 地震の恐怖から立ち直ろうと必死に生きている人々、現場で命をかけて任務を遂行している人々がいる一方で、原発関連組織の幹部や政府による記者会見は、放射線の危険のない原発からはるか遠くの場所で行なわれています。彼らの対策本部が、原発のすぐ近くであったなら、こんな末期的な状況にならないうちに解決されていたのではないでしょうか。
 
 日本人の良心と忍耐力、回復に向かっての克己心を信じつつがんばって生きたいと思います。

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