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[ルポ・がん医療の現場] [07 Autumn]
病理医不足の切り札となるか 乳腺病理の権威が定年後に専門開業
坂元記念クリニック 乳腺病理アカデミー

2007/10/11
日経メディカルCancer Review

写真1 坂元記念クリニック乳腺病理アカデミーが入居しているビル。JR中央線市ヶ谷駅から徒歩5分の場所にある(写真◎清水真帆呂)

 病理医の不足は日本のがん医療のアキレス腱の一つ。とりわけ、拡充が進められている乳がん検診では、乳腺病理医の不足に拍車がかかっている。そんな病理の窮状を憂慮して、癌研有明病院の前病理部長が、昨年の秋、東京に乳腺病理診断専門のクリニックを開設した。インターネットを通じて全国から診断依頼を受ける方式で、医師のみならず患者側からの相談も増えてきた。時間がかかる乳腺病理医の養成の場としても注目されている。

 治療方針や結果のコンサルテーションができる病理医の不足は長い間、日本のがん医療のアキレス腱とされてきた。全国で病理医の数約1800人。すべての症例に病理医の所見の添付を法律で義務付けている米国の5分の1の数だ。

 数の問題ばかりではなく、日本の病理医は60歳以上の高齢化割合が高いという質の問題も取りざたされている。「病理医は、いまや絶滅危惧種ですよ」と語るのは、昨年9月に定年退職するまでの35年間にわたり癌研で病理医として勤務した坂元吾偉氏だ。

 「質の高いがん医療を実現するためには、専門教育を受け、経験を積んだ病理医を確保する必要があるのに、日本はそれがまったくおろそかにされてきました。このつけは、国民に行くことになるし、これから大きな問題となって顕在化してくると思いますよ」。

 こうした危機感を背景に、「定年後は温泉にでも行ってゆっくりしたい」という癌研時代からの願いを棚上げして、同氏が東京都内に開いたのが、「坂元記念クリニック乳腺病理アカデミー」だ。JR中央線の市ヶ谷駅から徒歩5分という場所に建つビルの1室を借りて、昨年オープンした。

 一見、ビル診療所のたたずまいだが、一般診療は一切行わない。病理診断専門、しかもがんの中でも乳がんを専門に病理診断を受託するクリニックだ。

急増する乳がん患者
遅れをとる検査体制


 近年、乳がん患者の数が増加している。罹患患者数は2005年に40,000人を超えており、これは30年前の4倍増に相当する。乳腺外来やブレストセンターなどはどこも患者であふれ、医療スタッフからは「忙しくて昼食も夕食も満足に取れない」という声が聞かれることも珍しくない。当然、乳がんの病理検査の必要性も増している。

 さらに、最近は早期発見、早期治療を目指して行政もマンモグラフィーによる検診を積極的に進めていることから、今後早期診断の確定診断を下す上で重要な検査となる、乳腺組織の病理組織診断の需要増に拍車がかかることは容易に想像できる。

写真3、4 乳腺の病理診断が難しいのは乳頭状病変の良悪性の鑑別が難しいため。上の写真は悪性のDCIS(ductal carcinomain situ)、下は良性の乳管内乳頭腫。専門家でも鑑別は困難だと坂元院長は指摘する

 このまま、行政の計画通り、マンモ検診が普及すると、乳腺科あるいは病理室は要精検サンプルで埋め尽くされることになりかねない。しかも、「がんの中でも乳がんの診断がとりわけ難しいんです」と坂元氏は言う。治療前に乳腺から採取する組織が微量であることが普通であり、乳腺の組織像自体が、多様であることから、とりわけ長年乳腺の病理のみを手掛けてきた専門医を必要とするからだ。

「本当にがんなのか?」
診断に苦悩する執刀医


 良性か悪性か。早期がんの診断にあたって、最も重要な判断が最も難しいがんの1つといえる乳がん。その中でもさらに難しいと坂元氏が指摘するのが、悪性の乳管内がんと良性の乳管内乳頭腫の鑑別だ。

 乳管内がんも乳管内乳頭腫も乳房内に腫瘤(しこり)を触れる、あるいは異状乳頭分布をきたすなどの症状は同じで、マンモフラフィーも超音波の所見も同じで病理像もきわめて似ている(写真3、4)。

 乳管内がんは放置するとがん細胞が乳管内に浸潤し、リンパ節や臓器に転移を起こし、死に至ることもある。一方、乳管内乳頭腫は、そのまま放っておいても悪性化することはなく、生命に害を及ぼすこともない。「したがって、病理組織診の段階で乳管内がんと乳管内乳頭腫を間違うと患者さんの天地がひっくり返ります」。坂元氏が好んで使う表現だ。

 悪性を良性と誤診してしまえば、がんは進行し、患者は生命の危険にさらされることになる。逆のケースもまた大変だ。「本当は良性であるのに、悪性と診断されれば、乳房の全部または一部を切除された上、症例によってはリンパ節も摘除され、術後に放射線照射や長期間の薬物療法を受けることになります。さらに、その後の人生を“再発”の心配とともに過ごしていかなければならなくなる」。

 坂元氏はさらに、検体採取にも課題があると指摘する。病変の一部を切除して取り出した外科的生検でも乳腺の病理組織診の良性と悪性の鑑別は難しいのに、最近では針生検で病変から鉛筆の芯ほどの検体を採取した標本で診断しなければならなくなっている。「このような状況のもと乳腺疾患の病理診断をきちんと出来る病理医は全国でも数えるほどしかいない」というから事は深刻だ。

 この問題を最も重く受け止めているのは手術場で手術に当る乳腺外科医本人だと坂元氏は指摘する。「医師自身が確信をもてない症例もあり、こうした症例に遭遇した医師らのプレッシャーは相当なものがありますよ」。坂元氏はこうした医師たちから寄せられた標本を鑑別し、リポートを書いてきた。癌研に勤務している間に行ったこのようなコンサルテーションは1万件を超えた。執刀医から「どきどきしながら手術をしていました、診断を確定していただいてありがとう」などと、お礼を言われたこともあるという。定年退職後、組織診専門のクリニックを同氏が開いたことも当然といえば当然の成り行きだったといえるだろう。

医師に正しい病理診断を
患者にはセカンドオピニオンを


 乳腺病理アカデミーに勤務する医師は、現在のところ坂元氏ただ1人。月曜日から木曜日までを全国から送られてきた組織標本を検鏡して、病理リポートを執筆して、送り返す毎日だ。「金曜日は休みにしてもらって、土曜日と日曜日は全国の研究会や学会に出かけています」(坂元氏)。受託件数は徐々に増えているが、1カ月で30件程度。

 乳腺病理アカデミーの業務は主に3つある。1つは医師に対して乳腺疾患の正しい病理診断を提供することだ(図1)。針生検・マンモトーム生検・外科生検検体の病理学的な診断の受託、判定困難な難解病理所見に関してコンサルテーションの受託を行っている。また、まだ件数は少ないが、患者が希望する病理診断セカンドオピニオンも受託している(図2)。方法は患者がかかっている医療機関を通じて、アカデミーに依頼するというもので、50,000円を患者に負担してもらっている。

命がけで“習い”に来れば
技術を伝授する


 乳腺病理アカデミーを立ち上げたもう1つの狙いが病理医の養成だ。まだ本格化しているわけではないが、本気で病理医になりたい若手医には心血を注いで技術を伝授したいと坂元氏は言う。「病理医は一朝一夕には育ちません。下働きも必要。心をもらわないとだめです。組織診断に心がこもらないと誤った判断を下すことになるんですよ」。

 心をもらうとは穏やかではないが、乳頭病変の良悪性診断がライフワークとなった坂元氏でも、ときおり即断できない組織標本に遭遇することがあるという。そのような時は、1晩考えるという。「何も考えないでも自転車に乗ることができるように、標本が目の前に無くても無意識のうちに、考えているんですね。一晩おくとわかるという経験がよくあります」。つまり、標本一つひとつが真剣勝負ということだ。

定年後の病理医の身の振り方の
モデルケースにもなる

 乳腺の病理医の不足が危機的な状況にあるが一方で、診療所を開設すれば、どうしても経営という課題が出てくる。そう水を向けると、坂元氏は笑いながら答えた。「目標は、まず家賃を払えるようになること、次は人件費。そして、ゆくゆくは勤務する病理医の数を増やしていきたいですね。現状は、家賃はなんとかなりそうだという段階ですよ」。

 病理医は育成に長い年月がかかるので、一人前になって活躍できる期間が短い。「勤務する医療機関を定年で退いた後も、仕事をしていたいという病理医は多い。病理学会の先生たちも、僕がうまく行くかどうか注目しているはずですよ」。定年後はゆっくり温泉に行きたいという同氏の希望は、当分叶いそうもないようだ。

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