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「赤字病院と赤字病院を統合して黒字へ」。困難なミッションを達成し、地域中核病院の新しい形を創る

2010/06/09
枚方公済病院院長 田中一成氏

赤字病院+赤字病院を黒字に!?


――枚方公済病院への派遣も、医局の人事だったのでしょうか。

田中 医局人事です。話が込み入っているのですが、1999年当時、枚方公済病院の名称は「京阪奈病院」でした。枚方市には、国家公務員共済組合連合会の病院が、「京阪奈病院」の他に、「新香里病院」があり、僕は「新香里病院」への赴任を命じられたのです。赴任時のミッションは、「どちらの病院も赤字だが、国からの補助金でいずれ統合して、黒字病院に転換しなければならない」、「統合する条件を整えるために、あまりにひどい新香里病院の経営を、黒字にならなくても良いから改善してくれ」という、まるで、“雲をつかむ”ような国家公務員共済組合連合会の要請に、京大が応じたからでした。

「えらいことになった」と思いましたが、「補助金さえあればなんとかなるだろう」と思い、副院長として赴任しました。しかしその後、小泉改革で補助金はゼロになり、大学からは引き揚げの打診もありましたが、新香里病院の経営に手応えも感じていましたし、利用して下さっている患者さんや従業員の生活もありますので、引き続き新香里病院の経営改善を進めました。京阪奈、新香里の2つの病院が、経営統合されたのが2004年。それから新香里病院の病床を移動させて、新たな京阪奈病院として生まれ変わり、2008年に、「枚方公済病院」として、改称されました。経営統合されたときは、まだ2つの病院が存在しており、僕は両方の病院の外来診療と経営を見なければならず、その結果、心身ともに疲れ果てました。

「これでは、とても体がもたない」と思い、新香里病院の経営をその病院の診療部長に任せて、京阪奈病院の仕事だけに専念するようにしました。ところが、僕が正式に京阪奈病院の院長に就任すると、9人いた内科の医師のうち8人が辞めてしまいました。内科は、他大学の医局から派遣されており、その医師たちは、京阪奈病院の将来性に見切りをつけたんだと思います。

「赤字病院と赤字病院を統合して、黒字にしてほしい」というミッション。しかも、「原資はゼロ」という状態だったのですが、その後、新香里病院の一部の医師を京阪奈病院に異動し、なんとか内科医4名を確保して、経営を立て直す方策を考えました。

そして浮かんだのが、「循環器疾患を中心とした医療」でした。関西医大が枚方市に病院を建設するという話があり、それでは、「とても循環器では、勝負できない」と言われましたが、枚方市は国道1号線をはさんで診療圏が分かれています。枚方市に隣接する交野(かたの)市と合わせれば、人口20万人くらいの診療圏を確保できると考えました。

そこでまず京大から、関連の民間病院にいた医師を呼んで、「心カテ室」を開設して、「冠動脈検査」と「カテーテル治療」を本格的に開始しました。枚方市は、循環器疾患の救急診療体制が整備されていなかったので、京阪奈病院のこのような改革を聞き、周辺の患者さんも救急を中心に受診するようになり、徐々に評価が高まるようになりました。

この間、経営が持ちこたえたのは奇跡的だと思いますが、当時は無我夢中で、事務部長がやりくりしてくれる事しか、その理由は考えられませんでした。今、振り返ってみると新香里病院の経営を診療部長に任せたり、診療科をセンター化して、部長に権限を委譲したのも良かったのではないかと思います。

偶然なのですが、かつての経団連会長の土光さんが、「目標管理」の手法で、東芝を再建したのと同じような効果があったのだと思います。土光さんの場合は部下に権限を委譲して、人員削減をしながら業績を改善するやり方ですが、京阪奈病院の場合は医師が不足したため、権限を委譲したことが結果的に経営の悪化を防ぐことになったのではないかと思います。

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