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医療のグローバル化と、重みを増す医療情報。さまざまな工夫で、日本の医療を世界水準に

2009/08/01
アイ・エム・エス・ジャパン代表取締役社長 佐伯達之氏

―お父様は、何科の医師だったのですか?

佐伯 外科医でした。東北大の医学部を出てすぐに、陸軍に籍を置く軍医になりましたが、博士号を取るために市中の病院で働いていました。博士号を取る前の時期には、収入はほとんどなかったでしょうね。軍医だから、戦争になると、赤紙が来て、従軍しなければなりません。第2次大戦中は満州からニューギニアまで、あちこち行ったらしい。

戦後は、宇都宮の御本丸に病院を建てて開業したんですが、何しろ患者が来ないんです。なぜかというと、親父は恐いんですよ。私が小学校から帰ってくると、診察室から、親父が患者を怒鳴ってる声が聞こえる。「痛くない!」って(笑)。必要な時以外は、麻酔もかけずに、治療していましたからね。戦地なら「痛くない!」でも通用したんだろうけれども、町中の病院で同じことをしたら、恐がって、患者は来なくなりますよ。お袋は、大きな釜でガーゼを煮て消毒しながら、泣いていました。

―典型的な、昔風の医師だったわけですね。

佐伯 私は親父だけじゃなくて、これまでにいろいろな医師と交友してきましたし、米国に住んで、米国の医師の治療を受けたこともあります。その経験からいって、日本では唯我独尊的な医師が多いような印象を受けます。これは、ずっと「先生」として敬われ、崇拝されてきた歴史から来るものでしょうけれども、人の意見を謙虚に聞く姿勢が乏しいし、高慢で、自分勝手だと言われますね。患者からすると、まさに「先生」で、取っつきが悪いことこの上ない。うちの親父にも、同じ傾向がありました。

ただ、親父が偉かったと思うのは、とにかくよく勉強していましたね。書斎は壁中、本で埋まっていましたし、医学だけではなく、宗教の本などもよく読んでいた。キリスト教、儒教の良いところとか、米国の優れた点だとかを、私たちに教えてくれました。戦後すぐの時期に、米国について冷静に分析していましたから、それ以前から、勉強していたのでしょう。

また、病気を克服すること、患者を治すことにはとにかく一生懸命で、責任感が非常に強かった。逆にいうと、他のことには一切構わない人でした。だから、お袋が泣いたんですけれども(笑)。

―お父様のような昔風の医師は、患者を叱ったりはするんだけれども、実は心底では優しくて、真面目に患者に向き合う姿勢があったと思います。一方、いまは患者を「患者様」と呼んで、大切にしているように見えて、実は病院の経営のことを第一に考えるような風潮もあります。

佐伯 どちらも、よくないでしょうね。医師にとって、非常に大切なことは、正しい情報を、正しい形で、正しいタイミングで患者に伝えることだと思います。患者を説得して、納得づくで治療を受けてもらうことは、医師に欠かせない責務だし、そういうサービスを受けることは、患者の当然の権利ですね。

医療がグローバル化している現在、そういう情報提供のためにどれだけ頑張っているかが、医師の価値を決めるのではないでしょうか。その点、今の時代でも、患者は医師に従って当然とばかりに、患者にろくに説明しないタイプの医師ではダメなんですよ。また最近の病院が「患者様」なんて言っていても、患者に最新の情報を伝える努力がおろそかになっているとしたら、これも全然、ダメだと思います。

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