
「これでは経営が成り立ちません。岡野さんがどうあがいても、市立病院の存続はすでに無理な状態だった。それにしても、日大がもう少し辛抱してくれれば、別の展開もあったんでしょうが」と、岡野前市長の後援者からは、恨み節も聞こえてくる。
「日大が医師を引き揚げる原因となった病院職員の給与引き下げを決めたのは、実は岡野さんじゃないんです。その前の市長だった野平匡邦さんが打ちだしたもの。この野平さんが5月17日に行われた出直し市長選で復活を遂げるんですから、岡野さんにとっては皮肉というほかありません」。(市関係者)
派遣医師を引き揚げる大学病院の事情
日大医学部が医師を引き揚げたのは、銚子市立総合病院だけではない。ちょうど同じ頃、東京・北区の東十条病院からも、医師を次々に引き揚げていた。同病院は民間だが、北区では最大の病床数(350床)を誇り、銚子市立と同様、地域医療を担う中核病院だった。
「病院の実質的なオーナーは、ディスカウントストアを展開する東証1部上場企業のトップ。赤字が続く病院の立て直しを図るべく、07年5月、このオーナーは日大関係者を全員、医療法人の役員から外してしまった。これに怒った日大側が医師を引き揚げたというわけです」。(東十条病院元職員)
ただし、これはあくまでも表面的な経緯である。「大学側の事情もいろいろあった」と明かすのは、内情を知る日大医学部の准教授。
「04年4月に施行された新医師臨床研修制度の影響をもろに受けたんです。初年度はまずまずだったものの、05年と06年、日大病院に入局してくる研修医が大幅に減ってしまった。そのしわ寄せが一気に来て、これまで研修医がやっていた雑用まで、中堅の医師がやらなければならなくなった。これでは健全な診療体制が組めなくなると危機感を持った医局の上層部が、問題の多い派遣病院から医師を引き戻すことに決めたんです」。
医師臨床研修マッチング協議会のデータによると、05年度入局の日大病院の研修医は募集定員90人に対しマッチ数74人(82.2%)。06年度は90人に対し63人(70.0%)だった。国家試験の不合格者も含まれるので、実際のマッチ率はこれよりもさらに低くなる。
「新研修制度のもと、選べる研修先が格段に増え、条件の悪い大学病院には人が集まらなくなってしまった。給与が安い上に、こき使われるというイメージが定着しているんです。一方、研修施設として指定された民間病院では、1年目から月給30万円を超えるのは当たり前。なかには100万円以上のボーナスを出すところさえある。そうなると、予算の少ない大学病院では、まるで勝負にならない」。(日大医学部准教授)
新研修制度が学生の大学病院離れを誘発し、人手不足から、派遣医師の引き剥がしという結果を招いたわけだ。だが、施行前からすでに、こうした事態に陥る危険性を懸念する声が、当の厚生労働省内でも少なくなかったという。
同省医政局の職員は、次のように話す。
「研修医の過労死が社会問題化しており、劣悪な環境を改善するというのが新制度の目的のひとつでした。しかし、悲しいことに、日本の医療は酷使される研修医が下支えすることによって成り立ってきた。決して正しいことではありませんが、そうやって大学の医局が機能し、各地域に医師が派遣できる体制が維持されてきたんです。研修制度を改革するだけでは片手落ちで、併せて、医局から派遣しなくても、各地域にまんべんなく医師が配置されるようなシステムを構築しなければならなかったんです」。
結局、東十条病院は07年10月末、事実上、廃院する。その前月の9月27日朝、正面入口のガラスには、「常勤の医師を確保することが難しくなり、このままの体制では患者さまに十分な対応ができないと判断し、やむなく全科休診させていただくことに致しました」と書かれた紙が突然、貼られた。それを見た患者や家族が騒ぎだし、管轄する東京都や厚労省は初めて、その事実を知るという体たらくだった。
同様に、大学医学部が医師を引き揚げたことが休止の引き金となった銚子市立総合病院。ここでも、厚労省や市の無策が取り返しのつかない結果をもたらしている構図が浮かび上がってくる。次回は、出直し市長選で、それぞれの候補がどんな主張をしたのか検証しながら、自治体病院再生の可能性を探っていく。