全国各地の自治体病院が苦境に陥っていると言われてから久しい。だが、根本的な解決策はまったく見いだされず、大半の施設は相変わらず、医師不足や累積赤字に悩まされている。昨年10月に診療を停止した銚子市立総合病院も、地元住民の願いに反して、8ヵ月以上が経過した今も再開の目処は立っていない。
同病院のケースは多くのメディアでも採り上げられ、世間の注目を集めたが、なぜ、ここまで追い詰められたのか、背景に横たわる複雑な事情が正確に伝わっているとは言い難い。これから3回にわたって、その裏に隠された真相を洗いだしながら、地域医療復興へのヒントを探ってみたい。

高コスト体質の自治体病院
「前市長を徹底して追及してきたわけですが、今から振り返ると、彼だけに責任を負わせても意味がなかった」。
こう話すのは「何とかしよう銚子市政・市民の会」の支援者のひとり。銚子市立総合病院の休止を決めた岡野俊昭・銚子市長(当時)に対する反対運動を展開し、リコールを請求して、今年3月末の住民投票で失職に追い込んだ。
岡野氏が「市立病院を存続させ、さらなる充実を図る」と公約を掲げて市長選に初当選したのは06年7月。それからわずか2年後の昨年7月、岡野市長は「市の財政が危機的状況にあり、これ以上、支援ができないので、9月30日をもって病院をいったん休止する」と宣言。それに対し、市民団体が病院存続を求め、5万人の署名を集めたが、銚子市民の思いはかなわなかった。
同年8月、市議会本会議で休止議案が可決され、9月の定例会で休止延期条例の発議も否決。393床を擁する銚子市最大の中核病院の休止が正式に決定した。
病院存続を公約にしながら、それを裏切る形となったことが、市民の反発を招いたのは明らかだが、市長を責めるだけで解決できるほど、事態は甘くなかった。そもそも、市長はなぜ、病院休止に踏み切らなければならなかったのか。経営悪化の中、医師が去り、医業収入が大きく落ち込み、さらに財政難を招くという典型的な自治体病院の姿がそのまま映しだされているが、そうした負のスパイラルを断ち切るすべはなかったのだろうか。市の関係者は次のように話す。
「銚子市立総合病院はあまりに高コスト体質だったんです。医業収益に対する職員給与費の比率は通常、民間病院で5割、公立病院で6割前後。それがこの病院では8割近く(06年度、78.7%)まで跳ね上がっていた。国の三位一体改革によって地方交付税が年々、減らされ、市の歳入も激減。このままでは立ち行かなくなるとして、06年度に病院職員の給与カットに踏み切ったんですが、医師を派遣していた日本大学医学部が猛反発し、次々に引き揚げてしまったんです」。
06年まで30人台半ばで推移していた常勤医の数は、07年4月に22人、08年4月には13人にまで減少していた。その間、診療体制も大幅に縮小。07年1月、産科、同年4月、内科、婦人科、小児科の新規入院受け付けを休止した。08年6月以降は内科と外科に常勤医が1人しかいなくなり、救急を受け入れることすらできないありさまだった。