当時、研修医と言っても、特別の教育プログラムはなく、ほとんど放っておかれ、何かあれば、先輩の医者が医局からやってきて、それを見よう見まねで学んでいたという有様だった。とにかく病棟にいて、何か起これば積極的に参加していかないと、何も学べない状況だった。
最も重要な仕事は、病棟の点滴当番であった。まったく訓練などないまま、医師国家試験に受かったばかりの研修医が病棟で注射をしていたのだから、研修医教育など存在しなかったと言えるだろう。
要するに当時でも、研修医は安い労働力であり、受け持ち患者が重症になれば、文句も言わずに(言えずに)、重症当直をするのが当然であり、研修の身であるから、給料など欲しいと思ってもいけない、そんな環境であった。
先輩の医者たちの厳しい指導というより、頼まれ仕事をこなすばかりだった。先輩の医者たちは、医局で博士論文を書くための研究をし、博士号を取得した医者たちは、学会発表のための研究をしていた。
だからこそ研修医は病棟に縛られ、日中は先輩の医者はほとんど現れないという状況だった。研修医は院内を走り回り、重症当直をして、場合によっては、15日間以上、病院に泊まり続けた研修医もいた。
研修医に関しては様々な事件が起き、さすがに研修医の労働条件も改善はされてきた。給料は出るようになったし、身分も医局支配ではなく、独立した存在のように扱われている。しかし、根本的な部分、あくまでも安い労働力というところは、時代が変わり、制度が変わってもなにも変わっていない。