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第12回 パリで学んだ自己紹介術アップのヒント

2010/04/30
南野陽子(なんの ようこ) ピアニスト

15才からヨーロッパのドイツ語圏で8年間ピアノの勉強をした私は、その後パリに移り住みました。私がそれまで暮らしていたオーストリアのウィーンやドイツのミュンヘン、ベルリンはドイツ語圏では「大都市」でした。しかし、いざ住んでみたパリは同じヨーロッパの大都市とも思えないほど、ドイツ語圏とは気質が異なるばかりでなく、より多様化していて随分と勝手が違いました。今回は、そんなパリに私が移り住んだばかりの頃に学んだ、自己紹介についての話です。

ヨーロッパの国際都市パリ



パリは国際都市としての色彩が強く、アフリカのフランス語圏の人々を始め、私がそれまであまり接点がなかった世界中の様々な国の人々が住んでいました。移り住んだ頃の私は、そのような未知の文化圏の人々をはじめ、フランス人の人々に対しても思うようなコミュニケーションが取れませんでした。私のフランス語がドイツ語に比べると不完全だったこともあります。しかし、それ以前にどのようなことがパリに住む人々にとって関心のあることなのかが、良くわからなかったのです。

そのせいで、当初の私はせっかく現地の人と知り合っても、ドイツ語圏の人と話す時とは異なり、気の利いた自己紹介が出来ませんでした。ドイツ語圏では「私はクラシック音楽のピアニストです。」というだけで、周りの人は私に関心を持って質問をしてくれるので、コミュニケーションが上手く運びました。でもドイツ語圏ほどクラシック音楽に関心を持つ人が多くないパリでは、そのことが会話の弾むきっかけにはならなかったのです。

思いがけない再会


そんなある日、私はあるホームパーティーに招待されました。パーティーには、パリらしく仕事も国籍も異なる様々な人達が集まっていました。フランスのマスコミやビジネス関係者だけでなく、各国のジャーナリストの他、芸術家も美術、音楽、バレエなど異なるジャンルの人々がいて、とても多彩な顔ぶれでした。

その日、私はそこでウィーンのギムナジウム(高等学校)で2学年上だった台湾人の女性ピアニストに偶然再会しました。久し振りに再会した彼女はメガネをコンタクトに変え、長いウエーブヘアにパリジェンヌのような黒いドレスを着て別人のようになっていました。彼女はウィーンからパリに来て3年とのことでしたが、すでに流暢なフランス語を話し、その場にいる人達との会話を楽しんでいました。

私がとりわけ感心したのが、彼女が自己紹介ではピアニストと名乗るだけでなく、音楽の都ウィーンで研鑽を積んでドイツ語にも堪能であること、それに加えて台湾人である彼女の眼から見たウィーンとパリの違いなどを、時には面白おかしく、時にはシリアスに説明していたことです。そうするとフランス人だけでなくパリ在住の他国の人々も途端に彼女に関心を持ち、その後も会話が弾んでいきました。

そうです。彼女は自分のどのような要素がパリの人々の関心を惹くのかをとてもよく理解していたのです。フランス語が母国語ではないにも拘わらず、人々の輪の中心になって話をしている彼女を見て、私は感心すると同時に、心から羨ましいと思いました。

何が相手のアンテナに引っ掛かるのか


その後パリでは、私も自己紹介をする時にピアニストと名乗るだけでなく、日本人である私が中近東(パリの人々はこの地域への関心がとても高い)や台湾、ドイツ、オーストリアなど様々な文化圏で育ち、教育を受けたことを説明するよう心がけてみました。すると、今までとは打って変わって相手の人が熱心に私の話に耳を傾けてくれるようになったのです。これらの経験から私は、パリの人々は「未知の国々や文化」に関心が高いことを知りました。

もちろん、この自己紹介法がいつも上手にいくとは限りません。それでも私はこのパリでの経験を通して「自分の何が相手のアンテナに引っ掛かるのか?」を念頭に置きながら自己紹介を工夫するようになりました。そのおかげで、以前に比べると音楽に関心の高くない人々とも自然に交流を深められるようになったのです。

「自己紹介」という自分の側から発信することであっても、「相手の立場に立って考える」視点を持つことはとても重要です。そしてこのことは、より良いコミュニケーションを取るのに欠かせないことなのです。「自分の意見や考えを伝える際に、それを受け取る相手はどのように感じるだろうか?」そのような視点を持つようにするだけで、「自己紹介」を出発点とするコミュニケーションが円滑に運ぶのだということを、私はこのパリでの経験を通して学ぶことができました。

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