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第8回 私に勇気を与えてくれたロシア人教授の言葉

2010/01/05
南野陽子(なんの ようこ) ピアニスト

バイオリニストのロシア人教授との出会い


私の恩人であるバイオリニストのロシア人教授に初めて出会ったのは、オーストリアのザルツブルク国際サマーアカデミーでのことでした。ある暑い日の午後、レッスン室の空調が故障した際に、英語を話せる人が不在で教授が困っていたので、代わりに私がドイツ語で修理を依頼したことがきっかけでした。翌朝教授は私のレッスン室に来ると「あなたには大変感謝している。今後何か自分が役に立てることがあればぜひ連絡して欲しい。」と言って自分の連絡先を記した紙を渡してくれました。その日を境に私達は毎日のように言葉を交わすようになり、私は教授がユダヤ系ロシア人で、ロシアで活躍した後アメリカに亡命し、現在はアメリカの大学で多くの有望な若手バイオリニストを輩出していることなどを知ったのです。

東京での再会


それから一年も経たずして、私は東京である音楽コンクールの審査員を代役で務めることになり、来日した教授と再会しました。「様々な場所で活躍しているようだね」と再会を喜ぶ教授に、私は「残念ながらそうでもないのです」と答えました。そして今日は代役として来たこと、ヨーロッパから日本に拠点を移したものの、なかなかやりたい仕事につながるチャンスが掴めないで苦労していることなどを説明しました。

私の話に黙って耳を傾けていた教授は「明日にでも時間を作るから一緒に食事をしよう。私に何か力になれることがないか考えてみたいから」と言いました。

翌日食事を共にしながら、私は自分が長年に渡って海外で暮らしていたため、日本には音楽関係者に限らず知人が少ないことなどを話しました。そして一通り現在の自分の状況について説明し終えた私が、今度は「教授のロシアの故郷はどちらですか?」と尋ねました。すると教授は「私の故郷は、あなたに話してもどこかわからないよ。なんたってカスピ海の沿岸だからね。」というではありませんか。

私が思わず「私は子供のころテヘラン(イランの首都)に住んでいたので、カスピ海にはよく行きましたよ!」と言うと、教授はびっくりして「東京でカスピ海を知っている人に会えるなんて…」と大変喜び、故郷について生き生きと語ってくれました。

そしてその後、教授は私の希望を確かめるとその場からニューヨークにいる自分の知り合いに電話を入れて、私を仕事のメンバーに加えるよう頼んでくれました。そのあまりに早い展開に私は少し戸惑って言いました。

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