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第7回 ドイツで体験した沈黙に対する感覚の違い

2009/12/15
南野陽子(なんの ようこ) ピアニスト

沈黙は「意思がない」ことの現れ??


私はその「黙っていると話し合いをする意思がないと受け取られる」という教授の言葉に強いショックを受けました。ヨーロッパでは自分の考えをはっきりと相手にわかるように表現することがとても大切だということは、オーストリアでの経験から充分理解しているつもりでした。

それでも格式や伝統を非常に重んじるオーストリアでは、日本人である私から見れば驚くほど自分の意見を述べるものの、学生は教授に対して絶対の敬意を表しながらその意見に耳を傾けていたものです。

それにしても…と私は混乱しながら考えました。ここミュンヘンの大学では、教授が話しているのを黙って聞いているだけだと本当に話し合いをする意思がないと受け取られるのだろうか?だからといって教授が話しているのを遮って自分の意見を述べて本当に良いのだろうか?考えているうちに私はすっかり途方にくれてしまいました…。

ウィーンとミュンヘンは同じドイツ語圏のさほど距離も離れていない場所にあります。それなのにコミュニケーションに関する感覚や常識はこんなに変わるものなのだと、その難しさをあらためて実感した出来事でした。

それ以来私は、『コミュニケーションに関する感覚や常識は常に変化するもの』という認識をそれまで以上に強く持つようになりました。そしてそれは外国と日本という大きな隔たりの中だけでなく、例えば学生であれば師事する教授が変わったり、既に働いている方であれば勤務先や上司が変わったりするだけでも大きく変化するものだと思うのです。

私は、ミュンヘンでの体験を通して『コミュニケーションのバランスとは、その時の環境に合わせて試行錯誤しながら見つけていくもの』と考えるようになりました。そして新しい環境に自分が馴染めない時であっても、焦らず自分なりに「どこまで相手の話を聞き、どこからこちらの考えを伝えるか」のバランスを整えることを意識するようにしています。

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