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第6回 ベオグラードのクリスマス~自分自身と自分の立ち位置を知る

2009/12/01
南野陽子(なんの ようこ) ピアニスト

友人アナの誘いでベオグラードへ


17才のクリスマス、私はウィーンのコンセルバトリウム(音楽院)でデュオを組んでいたバイオリニストのアナと、ユーゴスラビア(当時、注参照)の首都ベオグラードでのコンサートに出演することになりました。アナはバイオリンを勉強するためにベオグラードの親元を離れてウィーンでおばあさんと一緒に暮らしていました。同じく親元を離れてウィーンでピアノを勉強していた私は、アナとそのご家族に招かれてコンサートをはさんでの10日間を彼女の実家で過ごすことになりました。

凍てつくような寒さの中、両手に沢山の荷物やクリスマスプレゼントを抱えユーゴスラビアへ向かう人々と一緒に私とアナはウィーンの南駅から夜行バスに乗り込みました。バスがベオグラードに到着した時に目にした光景は、私が想像していたよりもずっと美しく歴史を感じさせる町並みで、とても驚き感動したことを今でもはっきり覚えています。当時ユーゴスラビアはソ連とは一定の距離を置いた独自の社会主義路線を取っていたせいでしょうか、私がそれまでに訪れたどの東欧諸国の都市より活気にあふれている様に感じました。

ベオグラードでのコンサート


コンサート当日、アナは故郷での凱旋公演ということで、普段よりピリピリしていました。2人でリハーサルをしていると、学生と思われる若い人達が会場に次々と入って来てリハーサルを真剣に聴いています。アナが私に「私が通っていたベオグラードの音楽院の学生達よ。」と言いました。

後に知ったことですが、優秀で早くからウィーンに留学し、学生オーケストラのコンサートマスターをしていた彼女は彼らの憧れの的だったのです。

そこに集まった学生達は私から見ると同じ国の人に見えないくらい多様な人達の集まりでした。私の表情を見てとったのか、アナは「ユーゴスラビアは多民族の国なの・・・。だから演奏もウィーンにいる時みたいに形式や譜面上の表記にこだわるより、自分のカラーを出すことがここでは大切なのよ。」と言いました。

私は演奏をそのような観点で考えたことがなかったので、アナの意見はとても新鮮に感じました。と同時に自分と同世代の彼女が演奏だけでなく、聴衆の立場で物事を考え、自分の立ち位置についても深く配慮していることに少なからぬ衝撃を受けたのでした。

本番でのアナの演奏は素晴らしいものでした。私がその自由なテンポに合わせるのが大変なくらい、彼女はのびのびと演奏していました。沢山の人にとても温かく好意的な反応をもらい、私は遠路はるばるベオグラードへ来て本当に良かったと思いました。

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