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第4回 ラテン語の授業~「わかりません」から始めよう!

2009/11/04
南野 陽子(なんの ようこ)  ピアニスト

10代から国際舞台で活躍を続けるピアニストの南野陽子さんが、自らの体験を基に医学生、研修医に贈る、好奇心を刺激して役に立つコラム。第4回は、初めてのラテン語の授業から学んだこと。

初めてのラテン語の授業


「わかりません!」。
授業中に先生に当てられた私は、精一杯大きな声で答えました。

「どうしてわからなかったら質問しないのですか?」と、先生はいぶかしげに尋ねてきます。
「今、教科書のどこの部分をやっているかさえわからないので、質問のしようがないのです!」と、私。

当時、15歳でピアノの勉強のため単身ウィーンに留学していた私は、音楽教育を専門に行うコンセルバトリウム(音楽院)以外に、ギムナジウムと呼ばれる高等学校に編入して通わなければなりませんでした。

これは、その高校時代、初めて出席したラテン語の授業でのひとコマです。(冗談じゃない!ピアノのクラスとドイツ語での授業だけでも目が回りそうなくらい大変なのに、その上ラテン語なんて出来るわけがないじゃない…。)

現在のヨーロッパではラテン語が日常使われることはほとんどありません。しかし私の入学したこの高校では必修科目の1つだったのです。本当に泣きたい気分でした。

「それでは、どうして教科書のどこの部分をやっているか質問しないのですか?」
ドイツ語で答えるのでさえ精一杯の私だというのに、容赦なく質問は続きました。

「クラスの他の生徒は既にラテン語の初歩を勉強し終わっていると聞いています。今日ここで質問したぐらいでは教科書の内容を理解出来ないので、授業の後で先生に相談しようと思っていました。」私がそう答えたにもかかわらず、先生はさらに声高に言いました。

「それではいけません!あなたも授業に参加する権利と義務がありますからね!」

結局その日の授業の残り時間は私がどれくらいラテン語文法を理解していないかというチェックが延々続けられ、他の生徒はその様子を眺めているだけで終わることになりました。ひたすら「わかりません」を連発し続けた私に向かって、最後に先生は「あなたは今までに他の語学を習得しているから理解が早いわね。下の学年の授業に出なくても、補習で大丈夫よ。」と言いながら満足そうに授業を終えました。

休み時間になり、ぐったりしている私を見て隣の席のクラスメートが、「今の時代、ラテン語なんて出来なくても、困るわけじゃないから気にしなくていいよ。」と声をかけてくれました。しかし異文化の真只中に放り込まれ、ほとんど放心状態だった私は、ただ力なくうなずいただけでした。

「わからない」は自分のポジションを明確にする


それまでの私は、「わからない」ということは、恥ずかしいことだと思っていました。しかし、このような経験を通して「わかりません」と答えることに対しての抵抗感が画期的に少なくなり、そのことは私のその後の海外生活において大変役に立ちました。

「わからない」とか「知らない」と答えることはある意味自分のポジションをはっきりさせることと考えれば、恥ずかしいことでも何でもないと思えるようになったのです。

始まりはいつも「わかりません」から


その後、あるフランス人教授のピアノのレッスンを初めて受けた時のことです。教授は楽譜に簡単な書き込みをしただけで、私が言われたことを理解しているかどうか確認しないまま、どんどん先に進めていこうとするではありませんか。

私はこのままではいけないと思い、思い切ってお願いしてみました。
「楽譜に書き込むだけでは私にはわかりません。一つずつ説明していただけますか?」

教授は驚いた様子で私の顔を見ていましたが、「今まで沢山の日本人学生を教えて来たけれど、日本人は“わからない”とは言わないと思っていたよ。」と言って笑い出しました。そしてそれ以降のレッスンの時には、とても丁寧な説明を加えてくれるようになっただけでなく、説明の度に「わかりましたか?」と聞いてくれるようになったのです。

黙っていれば相手は理解しているものと考えます。特に言葉も文化も違う相手同士であればなおさらです。「わからない」ことは堂々と「わからない」。そう答えられるところからコミュニケーションを始めてみませんか。

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