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第1回 テヘランでの生活 ~自分の常識にとらわれない~

2009/09/29
南野 陽子(なんの ようこ)  ピアニスト

10代から国際舞台で活躍を続けるピアニストの南野陽子さんが、自らの体験を基に医学生、研修医に贈る、好奇心を刺激して役に立つコラム。第1回は、革命前夜のイランから帰国して得た体験から。

「停電になる前に宿題しなさい!」「はあ~い!」


子どもの頃、父の仕事の関係でイランの首都テヘランに暮らしていた私は、停電や断水が頻繁に起こるこの国で、学校から帰宅するとよく母からこう言われたものです。しかし、当時遊び盛りだった私は、何度も夜になってから、停電の中でロウソクの火を頼りに宿題をする羽目になりました。

日本に暮らしていると、文化や習慣の異なる中東のイスラム圏での生活はとても大変な印象があります。幸い私は子どもだったこともあり、日常のインフラを含む多少の不便さ、習慣や食べ物の違いは、慣れてくるとさほど気にならなくなりました。イランの人たちは、日本だったら当時でさえ大騒ぎになってしまうような、長時間にわたる停電や断水になろうが、バスが時間通りに来なかろうが、いつも平然と対処していました。

政情不安から革命前夜へ


その後、政情不安から治安が日増しに悪化していきました。まず学校が休校になり、そのうち戒厳令が出されて夜間の外出が禁止になりました。そして本格的に革命が勃発したのを機に、私の家族もすべての家財道具を残したまま国外退去することになったのです。

「子ども用リュックサックとペルシャ絨毯」。これが、帰国する際に私が持ち帰ることが出来た荷物の全てでした。緊急時にペルシャ絨毯を持ち帰ったのは、持ち運びが出来る荷物の中でそれが一番高価な物だったからです。革命を逃れて家族で日本に帰ってくると、周囲の人々が同情して、「自分達は海外で暮らす必要もなく、安全で恵まれた日本にずっといられて本当に良かった。やっぱり日本にずっと住むのが一番ですよ」と口々に言いました。

そんな風に言われる度に、私はいつも少し悲しい気持ちになりました。車でどこまで走っても延々と続くイランの砂漠。夜になってその砂漠で見た満天の美しい星。初めてラクダの高い背中にまたがって周りを見下ろした時にとても怖かったこと。大きなモスク(イスラム教寺院)。一日に何度も目にしたイスラム教徒達が一斉に行う祈りの光景。イランから静養休暇で行ったヨーロッパへの家族旅行。そのどれもが私にとってかけがえのない大切な思い出だったからです。

日本での生活に戻ると確かに停電や断水の心配もなく安全で恵まれていました。ただ、私にとってはいつも周囲の人と同じである事を常に要求されているようで、口には出さないものの窮屈な思いがしました。そのせいか日本での生活リズムに戻るのに思いのほか苦労し、子供心にも「私のイランでの生活は一体何だったのだろう」と悩んだりしたものです。

当時の私はイランで初めて遭遇した異文化との出会いをきっかけにして、世界には自分の知らないことが沢山ある、日本とは違う価値観があることを知りました。

その結果、「大きくなったらまた外国に行ってもっと様々な世界を見てみたい」、「広い視野と多様な価値観を身につけ、相手のことを前向きに認められる人間になりたい」というようなことを漠然と考えるようになりました。これが後に、留学や仕事などで、異文化との積極的な関わりに取り組む際の、私の考えや行動の支えになり続けました。

自分の常識を捨ててみる


このような信念を持っているにもかかわらず、私は自分自身の何気なく発した言動に「この頃、自分の価値観が狭くなっているのではないだろうか?」と自戒の念を感じることが時々あります。そのような時、私はそれまでの自分の経験からくる常識、あるいは知識などを頭の中から思い切って捨ててしまうように努力しています。

思考の前提を自分の常識ばかりにとらわれていると、時として自分の知らないことに気づかず、新しいことを吸収する機会を失うことになるからです。人間が成長していくには様々な経験や知識が必要なことは確かです。しかし未知の壁を乗り越えるためにより求められるのは、むしろ既存の常識にとらわれない柔らかい頭や心である、と私は自分自身の経験を通して感じています。

皆さんも自分の考え方や感受性が柔軟性を失っていると感じたら、一度自分の常識を取り払ってみて下さい。不思議なことに、今まで見えていなかったものが、見えるようになることがあると思いますよ。

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