
――医師を志したきっかけはどのようなことだったのでしょうか。
小川 両親とも小中学校の教師だった影響で、たぶん自分は学校の先生になるんだろうなと思っていたんですが、高校に入って少し考えが変わりました。大学では何か手に職を付けた方がいいだろうと考えるようになって、それには医学部が一番だと思いました。残念ながら「人を助けたい」とか「病気を治したい」とか、そんな高邁な志はありませんでした。でも、こころのどこかに医師という職業にたいする憧れはあったと思いますよ。 僕は島根県浜田市生まれで、高校は広島の私立修道高校。「修の道」が「僕の道」というわけです(笑い)。大学は、京大か阪大を進学指導の先生に勧められたのですが、京大の方が先輩が多かったし、修道出身の教授が何人かいたのも決め手かな。
――泌尿器科に入った理由は?
小川 何故か内科とか外科のような大きな診療科には行きたくなかったんです。でも、外科系のことはやりたい。その中では、耳鼻咽喉科も眼科もあまり興味はなく、残るは泌尿器科と呼吸器外科と産婦人科。そこから最終的に泌尿器科に絞ったのは、ラグビー部の顧問の吉田修先生が教授でいらしたからです。吉田先生は、非常に有名な泌尿器科医でありかつ医学教育者ですが、ラグビー部の指導にも熱心でした。そのせいか、ラグビー部の先輩には泌尿器科に進まれた方も多いんです。
僕は、高校までは陸上競技をやっていたのですが、これは個人競技。大学では団体競技もやってみようと思って、ラグビー部の練習を見に行ったら勧誘されました。先輩は、みんないい人ばかりだったし、すごく楽しかった。しかし、2年生の時の練習試合で先輩が首の骨を折って亡くなるという事故が起きてしまったんです。亡くなった先輩とはすごく仲が良かっただけあって本当にショックでした。それ以来、僕は一線を退きましたが、今は縁あって京大医学部のラグビー部顧問をしています。やっぱり、ラグビーは好きですし、離れられないものがあります。
――ラグビー以外で、医学生時代6年間の思い出は。
小川 高校の3年間は、寮に入っていて、ある意味、勉強ばっかりしてましたから、大学に入って自由な時間がたっぷりあったのが、僕にとってはものすごく良かったと思います。パチンコやったりマージャンやったり、実によく遊びました。だから、かなり単位も落としたけど、要領がよかったのか、留年はしないで済みました。本当に勉強したといえるのは、最後の国家試験のときぐらいかな。今の医学部生には、少しゆとりが無くなっている気もします。受験勉強が終わっても、過酷な医学部の講義が待っているでしょ。遊んでも、最後はなんとかクリアするというようなバランス感覚は、医師にとって大切だと思いますよ。