――稼働額が上がったのは、教室改革の成果でしょうか?
若林 そう思っています。教授選のプレゼンテーションで、僕はマニュフェストを掲げました。自分が教授になったら、こういうことをする、こういう教室を作るという約束です。その3本柱が「患者中心の医療」「若手育成」「教室発展」でした。この3本柱を実現していくためには、外科教室の生産性を上げなければなりません。そのために「がん患者に対するチーム医療を立ち上げる」「生体肝移植を立ち上げる」「内視鏡外科をさらに発展させる」という目標を掲げ、徐々に実現してきました。教室の准教授を化学療法室長に推薦し、放射線科、看護部、薬剤部と協力し、チーム医療を実践する体制を作った。これが発展して、腫瘍センターもでき、そこが中心になって、緩和ケアチームも立ち上がりました。おかげで2007年には、岩手県のがん診療のとりまとめ役である都道府県がん診療拠点病院にも指定されました。
また、生体肝移植を立ち上げるために、まず医師・コメディカル向けに肝移植セミナーを開始し、移植適応委員会を組織しました。さらに、教室員を、肝移植を数多く手がけている慶応大、京大に派遣し、研修を受けてもらいました。その結果、2007年には、岩手県で初めての生体肝移植手術を実施し、その後も順調に手術数を増やしています。また、現在では国内唯一の施設として、腹腔鏡補助下ドナー肝切除を行っております。これは、生体ドナーの負担を大きく減らす事のできる手術で、生体肝移植を行っている世界中の施設で普及すれば良いと願っています。実際に、国内はもとより韓国や台湾などからも、この手術を見学に来た外科医がすでに30名を超えました。
内視鏡外科については、これまでの経験を活かし、大腸・胃・食道の内視鏡手術件数を増やして、岩手医大を国内最大の内視鏡外科手術センターにすることを目指しています。その一環として、「内視鏡下頸部良性腫瘍摘出術」「腹腔鏡下肝切除」が先進医療に、「腹腔鏡補助下肝切除」が国内第1号の高度医療に認定されました。こうした目標達成と並行して、手術症例数も増え、稼働額も上がってきました。全身麻酔下の手術症例数は2005年に1026だったものが、2008年は1243まで増えています。稼働額(外来+入院の総額)は、先にも触れましたが、2005年に16・7億円だったものが、2008年は22・8億円と約6億円も増えています。
――素晴らしい実績ですね。ところで、お話の中に出てきた「先進医療」は、以前は「高度先進医療」と呼ばれていました。それが2006年に「先進医療」と改称され、さらにそれとは別に、「高度医療」というものが2008年から新設されました。それぞれの性格について、一般読者にもわかりやすく説明していただけますか?
若林 これは、その時々の内閣の方針で、制度のニュアンスが変わってきているので、わかりにくいんですね。そもそも「高度先進医療」というのは、厚労省が認めた先端医療を、同じく厚労省が認定した大学病院などの特定機能病院で実施する場合に限って、保険診療と保険外診療の併用を認める制度です。小泉内閣時代には、積極的に推進しようという方針で、「高度先進医療」認定の医療技術も、認定病院も増えました。
その後、内閣が変わり、方針も変わって、名前も「先進医療」と変わりましたが、この「先進医療」は、保険適用に向かう一歩手前の先端医療だと定義されました。例えば、日本全国で、5施設とかで実施されている段階の先端医療であれば、「先進医療」として認め、保険診療と保険外診療の併用を認めましょうという制度になったのです。