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各科診療域のスペシャリスト・インタビュー
核医学は、疾患を画像として捉える。PET検査の黎明期から、その有用性を啓蒙
第2回 厚地記念クリニック院長 陣之内正史 氏

2009/11/10
厚地記念クリニック院長 陣之内正史 氏

――話は変わりますが、陣之内先生が、医師を志したきっかけは、どのようなことだったのでしょう。

陣之内 直接のきっかけと言えるものはないんですが、親戚に1人だけ国立病院に勤務の内科医がいました。叔父ですが、その叔父に影響を受けたかもしれません。私自身、膝が痛くてリューマチかなという具合の悪い時があったんですが、宮崎日南から鹿児島の大口にあった自宅まで来てくれて、すぐに診てくれました。結局は何ともなくて大丈夫だったのですが、普段親しい叔父の顔が、診察の時、医者の顔に変わるのを、目の当たりにして「カッコいいなあ」と思ったのが頭の片隅に潜んでいたのかもしれません。

高校3年から、医学部受験も視野に入れるようになって、でも工学部も捨てがたく、九大の応用原子核工学と宮崎大学の医学部を受験し、両方とも合格しました。昭和31年当時は、まだ1期校、2期校の時代で両方受験することができました。もし九大に行ってたら、おそらくどこかの原子力発電所で技術者として働いていたでしょう。最終的に医学部に進学したのは、やっぱり心のどこかで「医者になりたい」という気持ちがあったからだと思います。

――医師国家試験に受かってから、その後は。

陣之内 宮崎大学医学部の放射線科に入局しました。大学院には行かずに、臨床研究で博士論文を取りました。博士論文のテーマは、「脳血流」。モンゴリアン・ジャービルというスナネズミに、IMP(パーヒューザミン注射液)という薬剤を注射して、オートラジオグラフィーで脳血流の分布を見ていく、まさに基礎実験ですね。

スナネズミという動物はおもしろくて、左右の脳を繋ぐ動脈バイパスの形成が不完全で、片方の頚動脈を結ぶと脳梗塞ができるんです。そうしておいて経時的な血流分布を見ていくことで、人間の脳梗塞の患者さんのSPECTを撮ったときに、早期診断などの役に立つわけです。

テーマは、教授と相談の上で決めましたが、指導医との共同研究というかたちです。患者さんを診ながら時間を見繕って実験をやったり研究をやったりという、二足のわらじ状態だったので、結構大変でした。幸い、新設大学でしたので、スタッフが少なくて、2年目から助手にしてもらえたのは経済的に助かりました。研修を2年で終わった年、26歳で結婚しました。

――研修医時代の思い出で、印象に残ったことはありますか。

陣之内 研修医になって1年目というのは、ただただ忙しく、また全く未熟で医学や診療、治療ということを正確には理解していなかったですね。しかし、患者さんの中には、私を一人前のドクターとして接してくれる方もいて、それには感激しましたね。おそらく今は、「研修医には診てほしくない」といわれるでしょうね。

――上長、先輩との交流関係で思い出深いことは。

陣之内 入局した時の教授が渡邊克司先生で、この先生だったから入ったというのもあるくらい、ものすごい人徳のある先生です。もともと核医学がご専門で、肝シンチや骨シンチなど、「シンチグラフィー」を専門とされてきた先生でした。宮崎大学の副学長、病院長を経て退官、この間喜寿のお祝いをしました。

渡邊先生は、偉い先生でありながら、研修医に対しても敬語を使って話すなど、頭ごなしに叱りつけられた記憶はまったくなかったですね。この渡邊先生とまったく対極にあるのが、「俺は偉いんだ」というタイプ。私が医局長をしているときに、単純な連絡ミスなのですが、ある病院長に会合の連絡をすることを忘れてしまった。すると、その先生は「医局の重鎮である自分をないがしろにした」と烈火のごとく怒って、へそを曲げてしまった。

そして、渡邊教授に「こんなに怒っていますけどどうしましょうか」とご相談したら、そんなくだらないことに付き合うなという感じで、「放っておけ」とおっしゃった。それを聞いて安心したんですけれども、一応、当時の助教授と一緒に謝りに行きました。

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