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各科診療域のスペシャリスト・インタビュー
診断をリードする、ドクターズ・ドクター“放射線科”。その3本柱の1つ、核医学の魅力を語る
第1回 獨協医科大学教授・PETセンター長 村上康二 氏

2009/09/29
獨協医科大学病院PETセンターのセンター長 村上康二教授

―医師の道に入ってよかったと思うことは?

村上:ありきたりかもしれませんが、他の先生が分からない病気を、画像診断で「こういう病気の可能性があるので調べてみてください」と言って、それが見事に正しかった時です。

非常に珍しい、心臓の腫瘍の患者さんのケースで、PETで腫瘍以外に褐色脂肪がいやに強く認められる。このような所見はカテコラミンというホルモンが分泌されている場合が想定されるので、もしかすると心臓の腫瘍はそのカテコラミンを分泌するフェオクロモサイトーマなのではないかということがPETで分かった。フェオクロモサイトーマは圧倒的に副腎にできる場合が多いのですが、この方の場合は心臓にできた特殊例。こういうのを術前に診断するのは、画像診断医の醍醐味です。

逆に間違えたときはひどく落ち込みます。「先生はこう言ったけど、手術したら実はこうだった」と。でも、むしろそう言ってもらえるほうがありがたい。気を遣って間違いを指摘されないと、間違ったことに気づかず、後で見直すこともできないですからね。

反省することは山のようにありますが、なかでも印象深いのは、がんセンター東病院にいたときのこと。患者さんに「正直に話してください」と言われて、その言葉を真に受けてほんとに正直に話した。当時、東病院では、がん告知はある程度常識だったのですが、一般にはまだ全部オープンに話すまでには至っていなかった。ご本人は非常にショックを受け、家族からは責められて、もうちょっと言い方があったんじゃないかと猛省しました。でも、医者に向いてないなと思ったことはないですね。

―放射線科を選んだことについては、いかがですか。

村上:道は間違ってなかったと思います。へそ曲がりなものですから、“寄らば大樹の陰”というのが好きじゃなくて、外科や内科といった本道というか、大きな医局に入る気はなかった。あまり人数が多くない、あえてマイナーという言い方をしますが、そういう方が自分のやりたいことができるかなと。最終的には工学系と医学系の橋渡しみたいな機械にかかわる学問ということで、放射線科は良かったと思います。

―放射線科はマイナーどころか、今や救急患者の診断治療のチームリーダー的な職位として非常に重みのある科になっています。画像診断、核医学の魅力は何でしょう。

村上:画像診断医は、「ドクターズドクター」、つまり、医師の相談にのる医師だと言われています。病理医も同じようなポジションです。決して患者さんの前に出るような派手な立場ではないけれど、縁の下の力持ち的な面白さがあります。しかも、テクノロジーの進歩と共に、一番に発展する分野なので、常に新しいことを勉強しなければならない大変さはあるものの、少なくとも全く飽きることがない。

―医学生、研修医時代の辛かったこと、楽しかったこと、思い出深かったことは?

村上:学生の頃は、授業よりクラブ活動の思い出のほうが多いですね。草野球レベルですが準硬式の医歯薬リーグに入って、東日本だけの夏の大会とか、春・秋の関東リーグ大会などに出ていました。6年生は国家試験のために現役を退きますが、それまで1年からずっとレフトで、5年生の時にはマネージャーを兼務しました。上手な先輩が抜けると急に中軸になって、6番を打ったりしました。ですからWBCのときは仕事が手につかず大変でした。

研修医時代も、楽天的なのかもしれませんが、辛かったという記憶はあまりないですね。いい先輩に恵まれたし、いじめられたこともない。

―若いドクターに関してはいかがでしょう。村上先生の時代と明らかに違うところ、改善したほうがいいと思われるところはありますか。

村上:素直で扱いやすいというか、食ってかかるような若いドクターはあまりいないですよね。がんセンターのときは、「ここはどうしてこうなんですか?」「この前こう言ったけど違うじゃないですか」など、怒鳴り込むとまではいかないけれど、それに近いことはありました。自分の疑問点を必ずクリアにしないと気がすまないから、それだけ食らいついてくる。向上心がある証拠でしょう。

―昨今は、若いドクターが、論文を書かない、学位に興味がないという風潮がありますが。

村上:現在は私学に在籍していますが、当初から研修医が終わったら、実家を継ぐ予定の開業医の師弟にとっては、論文を書いたり、博士号取るために研究したりする時間は惜しいでしょう。それくらいなら少しでも多く症例を診たほうが役に立つと思うのも頷けます。

国立の場合は、今でも専門医と博士号は取るでしょうね。特に私の頃の放射線科は、三種の神器というのがあって、専門医と博士号に加えて、第一種放射線取扱主任者というけっこう難しい試験に合格することが必須条件でした。教授に勧められて行った病院で週1日、研究日をもらっていましたが、さほど忙しくない病院だから、そこでキチッと勉強して必要な資格は全部取るようにと言われました。昔は教授の厳命は絶対でしたが、今では、強く言うとすぐに医局を辞めてしまうという話も聞くので、言い方や叱り方も気を遣う時代のようです。

―若いドクターに、医師としての心得、後進への助言を。

村上:がんセンターからこちらに移るとき、前院長から「常に志を高く持ちなさい」とアドバイスされました。確かに日常的には忙しいけれど、常に上を見て現状に満足することなく、目標を定めて、少しずつ日々精進することを心がけています。自分が向上すれば、それだけ患者さんにより良い医療を提供できますからね。

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