
獨協医科大学病院PETセンターのセンター長 村上康二教授
第1回は、獨協医科大学病院PETセンターのセンター長、村上康二教授。寄らば大樹の陰を嫌って選んだマイナーな放射線科は、今やドクターズドクターといわれる重要な職位に。機械好きな野球小僧が選んだ道は、テクノロジーの進歩が著しい世界で、飽きない代わりに、常に勉強し、感性を磨き続けることが求められる。そんな臨床研究の魅力と画像診断の醍醐味とは?
(聞き手:日経BPクロスメディア本部 プロデューサー 阪田英也 構成:原田英子)
―現在の仕事内容は。
村上:放射線科の3本柱は、「診断」「治療」「核医学」です。この中で、私がやっているのは核医学です。最近はPETとCTが一つの機械(モダリティ)に組み込まれ、より精密で正確な診断が可能になってきました。
毎週火曜日の午前中は外来で、「自由診療でPETを受けたいが、どういう検査なのか?」 「自分(患者さん)には、必要かどうか?」「他の病院でこう言われたが、もうちょっと詳しく知りたい」など、セカンドオピニオン的な役割を果たしています。主治医の先生は、私たちが書いたレポートを読み上げるだけなので、患者さんが詳しい説明を聞きたくてもできません。PET外来を始めた理由は、そういう不満に応えるためでした。
1日のPET-CT検査数は約20件。ここでは造影CTをやるので、1件あたり20分から30分かけて、かなり細かいところまで読影します。但し、私1人だけでやっているわけではなくて、若い先生に下書きをしてもらってチェックする部分もあるので、PETセンター開設当初に比べれば、仕事量はずいぶん軽減されました。
月曜日の午前中はベッドサイドで、グループで回ってくる5年生にPETの機械を見せたり、どういうふうに読影するかを解説したり、実際に端末の前に座らせて操作させたり。全く興味なさそうに反対側を向いてるのもいれば、熱心に質問してくる学生もいてさまざまですが、総じて自分たちの学生の頃に比べればはるかに真面目です。
―先生が医師を志したきっかけは、どのようなことだったのでしょう。
村上:当初は父が工学部の教授をしていた影響か、どちらかというと機械に興味があって工学部志望でした。ちょうどAppleやNECのPCが出始めた時期であり、これからはコンピュータが花形になるだろうと。その一方で、母方の祖父が入退院を繰り返していたこともあって、お見舞いに行き、医療とかかわる機会も増えていました。
画像診断の黎明期といいますか、CTも出てきていて、そういうものを目にしたおかげで、コンピュータを利用した医学もおもしろそうだなと思いました。現役のときは東大狙いでしたので、偏差値の関係から理Ⅲは諦め、他の医学部も受けなかったのですが、一浪後は、国立は千葉大の医学部に絞って私立の医学部は受けず、他は私立の工学部理学部を受けています。千葉大の医学部を落ちていたら、医師の道は歩んでいませんでした。
―どうしても、医師になりたいという憧れのようなものはあったのでしょうか。
村上:医療というより医学のほうに興味があったのです。医療は、患者さんを治すのが第一目標ですから、医学的な探究心以外に、患者さんの考え方やお金のこと、コミュニケーション能力など、いろいろなことが絡んできます。どちらかというと、私は研究が好きだし、おもしろいという点では医学志向だったのですが、さりとてネズミ相手に動物実験というのはあまり興味がなかった。
でも、1992年に教授から「国立がんセンター東病院と放射線医学総合研究所から派遣の依頼がきてるけど、どっちを選ぶ? ずっと研究をやるなら、時間のある放医研の方が絶対にいいし、臨床をやるならすごく忙しいけど東病院がおもしろい」と言われたとき、迷わず東病院を選びました。
少しでも臨床をやると臨床の面白さがわかってきますし、やはり臨床に直結した研究のほうが自分の性に合ってるかなと思うようになっていました。基礎医学は別にして、臨床研究のアイデアというのは、日常の医療をやっている中から生まれてきます。
「どうしてこんなことが起きたんだろう?」「ここを改善したい」という問題意識を持ち続けるのが臨床研究のヒントになる。ですから、いい医者はいい臨床研究医にもなれるわけです。