日経メディカルのロゴ画像

他国が注視する日本の年金制度改革。国民への情報開示で、理解促進へ
インタビュー 野村資本市場研究所 研究員 野村亜紀子 氏

2010/06/17
聞き手:日経BP社BPnet編集プロデューサー 阪田英也 取材:21世紀医療フォーラム取材班 原田英子 構成:同 狩生聖子

――中立かつ専門的な政策提言を行うことは、野村総合研究所でもできると思うのですが、分離した理由は何だったのでしょう。

野村 私が野村総合研究所に入社した1990年代初め、同研究所のアナリスト、エコノミストなどのリサーチ部門といわれる人たちは、実態としては野村證券および野村グループの役に立つリサーチを行っていました。

証券まわりを含むシステムの部隊と、リサーチのセクションとコンサルタントのセクションを合併させたのが当時の野村総合研究所で、野村證券、野村グループとのつながり、やり取りを維持していたのです。

しかし、1997年と2004年の2回に分けて、リサーチの分離が行われました。この間、2001年に、野村総合研究所が上場したのですが、私が思うに、そういったことを一つの契機に、「野村総合研究所とはどういう会社なのか」「どういう相手とどういう取引を行っているのか」をより明確にすることが、求められてきた。他にも色々あると思いますが、こういったことも分離した背景にあると考えています。

――ところで、野村さんが野村総合研究所を受験された動機は。

野村 もともとリサーチに興味がありました。コンサルタントにも興味はありましたが、野村総合研究所の場合、こちらが幅広く普通のお客様を相手にするのに対して、リサーチのほうはどちらかというと調査の対象や顧客がはっきりしていました。日本ではアメリカと違って、独立した会社でリサーチを行っているところが多くなかったということがあり、ぜひ、受験したいと思ったのです。

――東京大学での専攻と仕事との連続性はありましたか。

野村 教養学部のアメリカ科専攻ですから、連続性はそれほどありません。大学では「アメリカン・スタディーズ」というアメリカの文化と社会の地域研究をしていました。ですから、「仕事には使えない知識を持ってきました」という具合でした。

しかし、最初に配属になったのが政策研究センターというセクションで、その後、アメリカに駐在することになりますが、そうなるとアメリカの制度について調べることになりました。アメリカの政治の制度や国の成り立ちなど、どのように意思決定、政策決定がなされるかといった基本的な仕組みも調べたわけですが、大学時代の勉強で少しですが学んでいた分野だったので、これは役にたちました。

――政策研究センターで2年間の業務。その後、入社3年目で海外に赴任されていますが、これは大抜擢ですね。

野村 社内でもTOEICの試験は必ず受けるなど、若い社員は多くが留学を希望していました。しかし、留学も駐在も希望する、という人はそれほどいなかったようです。また、当時、留学については、経験の少ない入社3年目くらい以降を留学させる時代から、留学経験を、より生かしてもらうという意味でも、「もう少し上の年齢」を行かせたほうがいいのではないか、という考え方の変化もあったようです。

そうした中で、業務能力は別として、「英語だけは即戦力になりそうだ」という点と、「海外駐在も希望していた」点を評価されたのではないでしょうか。しかし、決まった時は正直、びっくりしました。

――英語力は大学時代に身につけられたのですか。

野村 子供の頃、親の仕事の都合で少し海外に住んでいたことがありました。それが潜在的なベースになったのかもしれません。

離れているからこそ大切な
自国とのコミュニケーション


――駐在先はどちらですか。

野村 ニューヨークに本社のある野村総合研究所のアメリカ現地法人である「ノムラ・リサーチ・インスティチュート・アメリカ」に赴任しました。同社はワシントンDCに支店があり、こちらのワシントン支店に駐在しました。ニューヨークに進出している金融機関は多いのですが、わざわざ距離が近いワシントンにも支店を出すところは少数派でした。野村證券を含め、野村グループのなかでもワシントンにオフィスがあったのはNRIアメリカだけでした。

日本からは支店長と平社員である私、あとは現地採用のリサーチスタッフとアドミニストレーションスタッフが1人ずつ、日本語が少しできる学生アルバイトだけの少数部隊です。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

この記事を読んでいる人におすすめ