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日独両国の社会保障政策の歴史・現状を検証し、将来を展望する
シンポジウム「日独社会保障政策の回顧と展望―医療保険と年金を中心に」が開催
~日独両国の行政経験者らが「社会保険における連帯と自己責任の再認識」について論議~

2010/01/15
21世紀医療フォーラム取材班編集部 桶谷仁志

ドイツでは医療の質を通じた競争環境の導入へ。
日本の医療費は増やす余地があるという意見も


続いて行われたパネルディスカッションでは、報告に基づき、会場の協賛会員、一般参加者からの質疑も参考にしながらの議論が行われた。

会員、参加者から多くの質問が集中したのが、「ドイツでの医師の供給体制の問題」。とりわけ医師(もしくは病院)の開業制限の問題だった。これに答えたゲルハルト・シュルテ氏によれば、病院の開業制限は「州によって違う」という。開業を制限する州が多いが、自由に開業できる州もある。

「多くの州では、病院に対する需要を統計的に明らかにし、医療の供給をコントロールしている。現在は、病院、病床が多すぎるという判断で、病院はできにくい状況になっている」という。また、医師が都会に集中し、田舎では医師不足が起きるという現象は、ドイツでも日本同様に深刻な問題になっている。田舎で働く医師の報酬を引き上げる制度もあるが、顕著な効果はあがっていない。

一方、いまドイツで盛んに議論されているのは、医療の質に応じて、報酬を上下する仕組みである。医療の費用対効果を算定し、算定の結果、品質が不十分ならば、保険給付の対象から外すこともできる。逆に質が高ければ、給付を割り増ししたりする仕組みが考えられ、導入されようとしている。これによって、医療の世界に競争環境が生まれ、医療資源の適正配分にも結びつくと期待されているようだ。

医療保険に関する日本側の報告者である幸田正孝氏は、日本の国民医療費は「もっと増やす余地があるのでないか」と論じた。その論拠は、日本の国民医療費はGDPの約7%にしか過ぎないこと、さらにドイツでは、医療保険の雇用主負担が日本よりかなり大きいことである。これに対し、ドイツ側の報告者は「医療費を保険でどこまで賄ううべきなのか?」という、より根本的な疑問を投げかけた。

ヴェルナー・テクトマイヤー氏は「社会保険のカバーできる範囲を超える課題は、国が税負担でまかなっていくべきだが、これまで国は、その部分までも社会保険に押しつけるアイデアに長けていた」とした。

ベルント・フォン・マイデル氏は「医療保険に対する被保険者の期待は非常に大きいので、国費を投入しても、それをすべてまかなうのは難しい。医療保険の対象は、保険料率の範囲でまかなえる水準の医療に限るべきではないか」とした。

年金に関して、ドイツ側の報告者が警鐘を鳴らしたのは、年金の給付額が下がることによって、「連帯」という精神的モラルが低下することだった。テクトマイヤー氏は、「公的な老齢保障は、もともと連帯の理念から出ている。ところが、国が年金に代わって、個人の積立などの自己責任をあまり強調すると、肝心の連帯の理念への不信感が広がるのではないか」という危機感を表明した。

とはいえ、年金に対する国費投入には当然ながら限度がある。日本側の吉原健二氏は「ドイツが、年金負担の水準をまず決めて、そこから給付の水準を決める仕組みを作ったことは、一概に良いとは言わないが、やむを得ない部分もあるのではないか」と論じた。

日本の場合、09年には基礎年金の国庫負担率が1/3から1/2に引き上げられた。「これくらいが限度ではないだろうか」というのが吉原氏の意見だった。この点について、ドイツ側のマイデル氏は「ドイツには(日本にあるような)基礎年金というものがないので、給付が極端に下がる可能性がある」とした。そのためドイツでは、基礎年金の導入や失業保険と組み合わせた年金制度の仕組みなども、議論されているという。

パネルディスカッションを締めくくったのは、日本側の報告者、土田武史氏だった。

「いわゆる福祉国家の土台は、これまで社会保険が支えてきた。現在は従来通りの給付が難しくなって、その土台が揺らいでいる。いまの国民負担は適正なのかどうかを、失業の問題、貧困者の問題などとも関連づけて慎重に検討すべきだ。さらに福祉国家における連帯と自己責任の問題を、われわれはもう一度提起し、真剣に議論するべきだろう」。

この発言を最後に、約4時間にわたるシンポジウムは、実り多い議論を展開し、幕を閉じた。

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