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日独両国の社会保障政策の歴史・現状を検証し、将来を展望する
シンポジウム「日独社会保障政策の回顧と展望―医療保険と年金を中心に」が開催
~日独両国の行政経験者らが「社会保険における連帯と自己責任の再認識」について論議~

2010/01/15
21世紀医療フォーラム取材班編集部 桶谷仁志

日本は医療保険制度改革の途上にある。
民主党が提唱する年金新制度には多くの疑問が



元厚生事務次官 幸田正孝氏

シンポジウムは日本側からの報告に移り、最初に演壇に立ったのは幸田正孝氏(元厚生事務次官)だった。幸田氏は、日本の医療保険制度の歩みを、4期に分けて報告した。日本は、1922年に、ドイツにならって、組合主義で医療保険制度を導入した。その制度が戦争によって大打撃を受けた後、立ち直り、1961年には国民皆保険が実現した。戦後すぐから1961年までが、現在につながる医療保険制度の第1期だと考えられる。

幸田氏によれば、1961年以前の時代、皆保険実現へ向けての最大の課題は、制度の中に零細事業者をどう取り込むかだった。その課題については、零細事業者を国保に取り込むことでクリアし、さらに市町村を強制的に国保の保険者にすることで、皆保険は実現したのである。当時、地方自治体、経営者団体、マスコミ等はこぞって国民皆保険を後押しする立場で、反対したのは日本医師会だけだった。

「最後に皆保険をのんだ背景には、戦時中の大量の軍医養成、旧植民地からの医師引き上げ等で、医師会の中には当時、医師の過剰感があったのではないか」と、幸田氏は語る。

第2期(1962~1973年)には、高度成長を背景に、制度は順調に発展した。ただし、この時期に、日本医師会は医療費引き上げをめぐって政府と対立を繰り返し、健康保険財政は悪化し続けた。1973年の改正では家族給付が50%から70%に引き上げられた。また、高額医療費の自己負担分の償還払い、老人医療費の無料化も実現し、73年は福祉元年と呼ばれた。もっとも、累積赤字は棚上げされ、懸案とされた医療供給体制、開業医と病院の役割分担等の改革は進まなかった。

第3期(1974~1990年)に入ると、高度成長の終焉、低成長への移行にともなって、医療保険制度も変革を迫られ、「増税なき財政再建」を掲げた臨調(臨時行政調査会)を活用して多くの改革が実現した。1983年には老人保健法が実施され、初めて制度間(国保、政管健保、組合健保)の財政調整が行われた。84年の健康保険法改正では患者定率自己負担(10%)の制度が導入された。85年の医療法改正に続く5次にわたる改正で、医療供給体制の改革も進められた。

第4期(1990年~)の現在は、超高齢化社会への移行、就業の構造変化(非正規雇用の増大等)を背景にして、医療保険制度は構造改革の途上にある。交替前の自民党政権は、7~8年にわたって医療保険を含む社会保障について抑制的姿勢に終始していたが、その目指す具体的な姿は必ずしも明らかではなかった。

自民党に代わって登場した民主党政権は、公約として後期高齢者医療制度の廃止を掲げているが、それに代わる具体策を示していない。また、医療保険制度の一元的運用も民主党の公約になっているが、こちらについても具体的な方策や道筋などは明らかではない。今後も、国民皆保険を維持し、発展させていけるかどうかは国民負担をどういう形にするかにかかっている。民主党政権は、「消費税率の引き上げを4年間、封印する」と公約しており、国民皆保険のための財源を曖昧にしたままである。「国民皆保険の堅持は国民の総意だと思うが、それをいかに維持するかに関する国民の合意形成は、いまだに行われていない」と、幸田氏は結論づけた。

最低保障年金と全国1本の所得比例年金とを
組み合わせた「一元的な年金」への疑問


日本側で2番目に報告に立ったのは吉原健二氏(元厚生事務次官)だった。吉原氏は、日本とドイツの年金制度を比較しながら、日本の制度の特徴について論じた。日本はドイツを範とし、その後を追うような形で制度を作ったが、両国の大きな違いは、日本は国民が1人残らず加入する国民皆年金体制を作ったことだ。

吉原氏は、「ドイツでは制度は国が作っても、その運用は職域・職業・地域などを基盤にした保険者に任されている。いわば、分権型の制度だが、日本の制度は全国1本の形になっている。全国1本でないと不公平だというのが日本独特の考え方だ」と述べる。また年金の給付についても、「日本には平等を求める考え方が非常に強い。そのため、全国民が『国民年金』(基礎年金)に加入し、その上に『厚生年金保険』などの報酬比例年金が載る2階建て構造の形で、これまでの制度設計は進んできた」という。

現在、ドイツは年金財政の悪化、少子高齢化という日本とよく似た状況に直面し、日本より先んじて制度改革に着手している。負担と給付水準の適正化と給付年齢の引き上げが、その内容だ。一方、日本では今後、民主党政権の下で制度が大転換する可能性が出てきている。民主党の考え方は、日本の年金制度を、国の税金による最低保障年金と全国1本の所得比例年金とを組み合わせた一元的な形に変えようというものだ。

いわば新しい船を造ろうというのである。「ただ、気候が悪く、波が荒いからといって、古い船を捨てて、新しい船を造っても、果たして有効なのか? むしろ、古い船よりも新しい船のほうが、難しい事態を招くのではないかという疑問の声も数多くあがっている」というのが吉原氏の結論である。

日本側の3番目の報告者、土田武史氏(早稲田大学商学部教授)は、アカデミックな立場から日独両国の医療保険、年金保険を比較し、その持続可能性について総括的に述べた。

両国の制度には個別の特徴はあるが、その基盤となる精神は「共同体的連帯」(医療保険)と「世代間連帯」(年金保険)であり、その運営の原則は「保険料中心の財源調達」(医療保険)と「保険原則(負担と給付の間の健全な関係)の維持」(年金保険)のはずだ。ところが、両国ともに、低成長、少子高齢化といった状況の変化に直面し、健全な運営の原則が崩れつつある。原則が崩れれば、制度の精神的基盤である「連帯」にも、悪影響がおよぶ。両国は、さまざまな改革によって、制度の維持に取り組んでいるが、両国ともに国家の役割が増大する方向にある(ドイツの医療基金、日本の高齢者医療など)上に、将来の持続可能性のためには、難しい課題が山積しているというのが、土田氏の報告の結論であった。

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