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“知られざるがん”小児がんへの正しい理解と、小児がんの子どもたちへの支援をめざして

2009/11/16
NPO法人 ゴールドリボン・ネットワーク 理事長 松井秀文 氏

――小児がんの患児に特化したトレーニングの場をつくる必要性について教えてください。

松井 小児がんの子どもたちは合併症を持ちながら障害者の認定は受けられない方々が多くいます。ですから、小児がんの子どもたちがよりスムーズに社会に出たり職業に就けるような中間施設のような場を作りたいと考えています。これも資金がないとできないことです。
小児がん経験者の中には、合併症で苦しんでおられるが、外見上ハンディキャッパーに比べて、QOLが高いように見えるので、理解を得られないケースが多くあります。 脳腫瘍の場合、色々な障害が出ます。例えば、自分で体温調節ができないので、暑くても自分で体温下げられない、寒くても上げられない。まともに外に出ていたら、脱水症状を起こして倒れてしまうこともあるのですが、そういうことは外から見たら分かりません。

――小児がん対策を実施する団体としては、、先ほどお話に出た「守る会」や「NPO法人 小児がん治療開発サポート」(サクセス)があります。これらの団体との役割分担については、いかがですか。

松井 「守る会」は、設立40年という立派な実績をもった団体で、もともとは小児がん経験者の親の会からスタートした最も大きな組織です。治療研究助成から新薬使用陳情、小児がん患児のQOLの向上、患児を持つ者同士の交流から患児家族のための宿泊施設の運営など、幅広い活動をしています。

小児がんについて、その象徴としての「ゴールドリボン」を標榜しようとし、その活動をスタートさせたのは、実はアフラックです。(※1 ※2)私共は「守る会」とは広く一緒にやっていきたいと思っていますが、特に「QOL向上」という部分は連携していきたいと思っています。

※2 我々は、「治療研究」「QOL向上」「理解促進」という3本柱を掲げ、総合的に運動展開するためにNPO法人をつくりました。
※1 ちょうど同じ頃に設立された「MNプロジェクト」という小児がん経験者の団体があります。ここもゴールドリボンをシンボルとして活動をされています。

「サクセス」は、もともとは国立がんセンターの小児科の医長をやっている方が中心となって、私どもより少し早く設立されたNPO法人です。どちらかというと医療関係者やビジネス界から参加されている方が多く、研究支援や小児がんの理解促進活動をしているのが特徴です。我々は、小児がんについてのシンポジウムを支援するなどといったかたちで、「サクセス」とも連携をとっています。

その他、小児がんについては、病院ごとや疾病ごとに患者の親の会があります。

――なぜ、小児がんのシンボルを「ゴールドリボン」にしたのですか。

松井 乳がんの早期発見・早期診断・早期治療の大切さを伝える運動の象徴が「ピンクリボン」ですが、そのパーティに行ったとき、とても華やかでにぎやかで、いろいろと触発されましてね。そのとき、小児がんについては何もやってないなと反省し、小児がんもシンボルリボンをつくって啓発運動をしようと思いついたんです。

それでいろいろ調べてみたら、2月15日が国際小児がんデーとして制定されており、アメリカでは、すでに「ゴールドリボン」運動が展開されていました。当然同じでなければおかしいので、“そのまま踏襲しよう”ということで、ゴールドリボン使用についての了解を取りました。アメリカではいろんな形のリボンがありましたが、それをベースに、日本で今のデザインを作りました。

“6歳の愛娘を小児がんで亡くした”同窓生の手記が、
「ゴールドリボン」運動を始めるきっかけ


――松井さんは、ゴールドリボン・ネットワークの理事長であり、この団体の創設者ですが、小児がんやその患児との出会い、そして、この団体を創設するに至った経緯をお話しください。

松井 昭和48年(1973年)にアフラックの仕事をしないかと誘われて迷っていたとき、母校(東京大学)経済学部の会報「経友」で同窓生の手記を読み、心を揺さぶられたのがきっかけで、がん保険の仕事をする決心がつきました。それは「娘を不治の病に奪われて」と題した福地誠一郎さんの文ですが、2年8ヵ月に及ぶ急性白血病による闘病生活の末に6歳という短い生涯を閉じたお嬢さんの小さいながらも健気にがんに立ち向かう姿や、入院・付き添いによる二重生活、経済的負担などといった親の苦労、小児がんに対する研究の手薄さ、社会的支援の必要性などを問いかけるものでした。

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