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特別インタビュー「治験・臨床研究の活性化に向けた戦略をどう描くか」

2009/07/22
国立病院機構大阪医療センター院長 楠岡英雄 氏

図2:治験届け数の推移

かつて、日本の製薬企業の間では、個々の企業がとにかく全部の薬のラインナップを揃えようとする傾向がありました。A社がある薬を出すと、B社も出す、C社も出すという形で、会社が10社あれば、同じような系列の薬が10通り出てくるという時代が、ずっと続いていたのです。治験の数も、それだけ多かったわけですね。

ところが、1995年頃から、その傾向が変わってきました。薬の開発には大きな費用がかかりますから、後発で同じような薬を開発しても、費用の回収ができにくくなってきた。2番手、3番手で出すならまだよいけれども、4番手、5番手以降で出しても、先発の薬よりもよほど優れていなければ売れません。それならば、“他社がまだ手がけていない分野に、率先して開発費用をかけようじゃないか”という方針に、各社が転換してきました。

―開発テーマの選択と集中が始まったわけですね。そのこと自体は、効率化という意味で、悪くない変化だったのではないでしょうか。

楠岡 その通りです。ただ、こうして各社の方針が変わった時期に、ちょうど新しいGCP省令が出てきたので、治験数の落ち込みに拍車がかかったともいえるでしょう。各社は、開発ターゲットを絞り込んで、新薬開発に取り組みましたが、GCP省令によって、治験の契約から実施にいたる手続きが増加したこともあって、治験がなかなか進まなくなりました。そこで、治験というものが、大きな問題として取り上げられるようになったのです。

それ以前も、日本の薬の開発は、欧米を中心とした世界的な流れからすると、やや遅れてはいました。ただ、その遅れは、日本の製薬企業から見ると、容認可能な範囲だと考えられていました。また、あまり国民の目にも止まってはいなかったのです。ところが、インターネットが普及して、情報伝達のスピードが増し、世界的なレベルで広がるようになってくると、日本の遅れぶりが目立ってくる。

これこれのがんの新薬は、世界的には普通に使われるようになって何年もたつのに、日本ではまだ承認されていないといった現象が目立つようになってきました。そこで、薬をつくる基盤全体を強化するために、2002年に「医薬品産業ビジョン」という5カ年計画ができました。基礎研究から始まって、薬を市場に出すまでの一連のプロセスをそれぞれ強化する計画です。

―創薬=薬づくりは、日本がこれから力を入れるべき産業だと、2002年頃から認められていたわけですね。

楠岡 自動車がハイブリッド車、さらに電気自動車にシフトしていこうとしているように、これからの日本の産業は、全体として知識集約型にシフトしていかなければなりません。その趨勢の中で、創薬=薬づくりは、非常に大事で有望な産業です。新薬を開発している国は、実は世界中でも10カ国程度しかないのです。日本は、その各国の中でも、かなりいいポジションをいままで占めてきました。世界中で最もよく使われている100の医薬品の中で日本発の医薬品は13もあります(2004年現在)。

ところが近年は、医薬品の開発競争もグローバル化しアジア諸国での治験も進んできたので、日本も安閑としてはいられなくなりました。「創薬5カ年計画」には、こうした創薬に関わる産業を強化することで、日本の将来の屋台骨を支える産業の1つにしようという狙いもありました。

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