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弥縫策(びほうさく)は「ノー」。高齢者医療制度

2010/05/31
医療ライター 須藤公明

厚生労働省が75歳以上を対象にした「後期高齢者医療制度」を廃止した後の新しい制度(新高齢者医療制度)について、財政試算を公表した。そこでは幾通りかの案に検討が加えられ、概括的な数字が提示されている。そして新聞報道などによれば、最も有力なのは「原則として65歳以上は市町村が運営する国民健康保険(国保)に加入した上で、75歳以上に限って医療給付金の半額に公費を投入する」案だとされる。その理由としては「65歳未満の国保の保険料負担がほぼ今と同じ水準になる」ことが挙げられている。

現在、雇用延長が社会的な趨勢となり、65歳まで働くことが一般化している。ただし、60歳以降の雇用形態は様々であり、所得が減少する人も多いといわれる。さらに、少子化の進行によって、「支える人」と「支えられる人」との比率が変化し、支える側の負担が増大するという問題もある。そのような状況を考え合わせれば、現役世代への配慮は不可欠なものだといえよう。その部分のモラールがダウンしてしまえば、医療制度どころか日本の社会そのものの崩壊が懸念されるからだ。

だがしかし、そういう目で「新高齢者医療制度」を見てみると、不安になってくる部分がある。それは、「中長期的に、本当に大丈夫なのか」ということだ。年金でよく話題になるように、2012年にはいわゆる「団塊の世代」の先頭が65歳になる。ということは、その少し先、2024年には団塊の世代の最後が75歳になるということでもある。14年後となれば、そう遠い話ではない。干支で一回りちょっと、今年小学校に入学した子供はまだ大学生というぐらいの時間である。

別の言い方をすれば、これから20年はもとより、30年ぐらいは、労働市場に参入する人数も、退出する人数も、そしてまた75歳以上の人数も、あらかた予測がつくはずだ。そして医療保険も年金も、そのような計算、前提を踏まえて考えられるべきものである。だが、厚生労働省の発表の仕方、あるいは新聞などマスコミの報道の仕方に問題があるのかもしれないが、30年後どころか、団塊の世代を抱え込む15年後の「新高齢者医療制度」の姿に関して、ほとんど何も触れられていない。

国民を弥縫策で愚弄する?


その結果、「この財政試算は、当面の弥縫策(びほうさく:一時的にとりつくろうの意)ではないか」という疑念が芽生えてしまう。「ここ数年はなんとかなったとしても、10年後、15年後はどうなるか全く分からない」という思いに駆られてしまうのである。それは、今回の試案は、医療制度の本来の主旨である国民の健康よりも、保険料の増加を回避しつつ収支のバランスを維持したいという金銭勘定が先に立った議論のせいなのではないのか、という勘繰りの結果である。つまり「泥を被る」あるいは「憎まれ役」を忌避しての産物でしかないという見方だ。

しかし、国民が今、本当に望んでいるのは、弥縫策ではない。抜本的な、最低でも一世代、30年間ぐらいは持ち堪えられる医療制度、保険制度の構築だ。名門大学を優秀な成績で卒業した人材が揃っているといわれる官僚が、そのことを知らないはずがない。では、なぜ、こうなったのか。ここでまた、「次官にしろ局長にしろ、2年間が精々だから」というお役所の制度というか慣行への疑念が顔を出す。「消えた年金」の問題を起こしたところだけに、疑い始めればきりがなくなってしまうのだ。

もとより、ここで悲憤慷慨したところで何も始まらない。本当に必要なのは、中長期的に確固たる医療制度を構築することだ。まずは、そのための各種データを取り揃え、一般の人々が理解しやすい格好で提供してほしい。その結果、公費投入のためには消費税の増税が不可避という議論、あるいは一定以上の所得があれば、例え喜寿を過ぎても保険料の負担を、という議論が持ち上がる可能性もある。ともあれ、当面を糊塗するだけの、付け焼刃のような制度は止めてほしい。「百年の計」を立てるとはいわないまでも…。

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