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医療と介護のはざまで

2010/03/01
医療ライター 須藤公明

「医療」とは何か、「介護」とは何か――。昨年、それらについて、またその線引きについて深く考えざるをえない事態に立ち至った。ほぼ1カ月の間に、二人の母を相次いで亡くしたからである。9月末に妻の母が民間の介護施設でほぼ老衰で逝き、10月末に私の母が病院でパーキンソン症候群に血液病などを併発して逝った。年齢はいずれも80代半ば、大正も終わりのころの生まれである。程度の差はあれ、ともに認知症を患っていた。最後までよく面倒を見て下さった施設と病院には、心からお礼をいいたい。

政府は今、在宅介護を拡充する方針を打ち出している。その根底には、医療と介護にまつわる財政事情がある。高齢者の医療保険や介護保険の公的負担が限界になっていることだ。「現在のシステムの崩壊は時間の問題」という見方すらある。その元を辿れば「40年前か50年前は病院で最期を迎える人は4人に1人ぐらいだったのに、最近は自宅で最期を迎える人は4人に1人もいない」という、かつてとは様変わりの事態になったことがある。もとより、高齢化の進行と生活習慣病の拡大も。それらが、負担を加速しているのだ。

また、「息を引き取るのは自宅で、と希望する人が増えている」というアンケート調査が発表されたりする。だが、2人の母のことを思えば、それは容易なことではない。自分の母は80歳を前に転倒、骨折して入院、それが回復して帰宅させた時には浴室や廊下には手摺りを設置するなど、安心して動けるようにした。そして家族だけでなく、ヘルパーさんの助けも借りて徐々に機能回復したのだが、翌々年の猛暑で脱水症状を起こして救急車で運ばれ、加療中に院内で転倒して骨折、遂に身動きが取れないようになってしまった。

自宅での死は、家族の大きな負担


それからの入院生活は5年近くになったが、自宅で面倒をみるのは無理だった。入院前から痴呆症が進行、「モノがなくなった、誰が盗ったのか」などというトラブルが頻発したこともある。しかし、それ以上の難問は食事、栄養補給の問題だった。点滴が常態化したばかりでなく、胃に穴をあけ、チューブで流動食を、となってしまったのである。いかに既製のものも用意されているとはいえ、それぞれに仕事をしている家族で三度三度の食事の面倒まで、というのは、申し訳ないが、無理な相談だった。

「申し訳ない」というのは、母に対してと同時に、医療関係者、介護関係者にも、である。容態が変化すれば、すぐ電話をくれた。母を含め、無理難題をいう患者をやさしく受け止め、明るく朗らかに振る舞い、食事に入浴に等々、本当に親身になって世話をする姿が目に入った。夜勤の疲れも見せずに、ということも度々だった。「医療も介護も人手不足、このままで長続きするわけがない」という実態を目の当たりにしたのである。同時に、過酷な割に報酬の少ない職業だということを理解させられた。

昨年の夏、母が一種の敗血症を併発し、主治医から「専門病院で治療をすることも…」と訊ねられたとき、「いや、結構です」と答えた。そうすれば、もう少し生きられたかもしれない。だが、それまでの経過からして、独力で歩く日を望むのは無理だった。高度医療の専門病院に介護、身の回りの世話までという面倒をかけることに躊躇いもあった。さらに、副作用が懸念される治療に母は耐えられるのか、下手をすれば、意味のない痛みを与える結果になるのではないか、ということも危惧された。

一方、父は7年前に亡くなった。80代半ばで、心臓が悪くペースメーカーを埋めていたものの元気だった。夕食を摂り、風呂に入り、「じゃあ、また明日」といって床に就いたまま起きて来ない、というのが最期だった。「ピンピンコロリ」を地で行ったのである。自分が父のようになるのか、母のようになるのか、知る由もない。長寿は決して悪いことではないのだが、年金や医療、介護などの問題が議論されるたびに、これからの人生、次世代の負担、さらには長生きすることの意味について考え込まされてしまう。

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