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現代に蘇る医者を選ぶ際のコツ
~19世紀初頭・江戸の町に流布した患者学。江戸時代の医者の良し悪しを見分ける方法

2009/07/11
医療コラムニスト 21世紀医療フォーラム取材班ライター 油井富雄

 「自分の心の内の手前勝手な了見を挟まず、自分の好き嫌いや偏見を捨てる」ことが前提で、「病気の発症時やその前の状況まで深く熟慮し医師の診断と突き合わせ、その医師のいうことが、飾りがあり、患者に対して媚(こび)を求める実のないものか、実があり適切なもので本当に治療に向かって進む実のある言葉なのかを熟慮すべし」とある。

 医師の資格試験制度などない江戸時代のこと。前回も述べたが“生活のため医師にでもなるか”“他の仕事ができず医師にしかなれない”という“でも、しか医者”が数多くいた時代でもあった。現代においては、“でも、しか”では医者にはなれないが、医院経営や職業としての医業という基本構造には変化はない。それだけに平野が指摘する、良い医者の見分け方は、現代にも蘇る部分が少なくない。

もっぱら人の気を引く弁舌は注意

 悪い医者の例として、「患者やその家族のご機嫌をとり、もったいぶり、へつらう連中は、適当な診断をして、患者やその家族が納得する言葉で、言い当てるが、これは的を得たというより、道を誤る契機となる」という。

 医師が、専門用語などをかみ砕いて、患者や家族に解説するのは現代の診察の基本姿勢だが、ここで平野がいうのは、ろくな診察もせず詭弁を使う医師のことで、「小手先だけの治療をごまかそうと、もっぱら人の気を引く弁舌を若いころから覚え、患者はその口車に惑わされていることに気づかず、結構知恵がありそうな者でも、ついにはその落とし穴にはまってしまう」という、現代ではそうめったに見受けられない医者のことだ。

 ただ、医療はサービス業とばかりに、表面上の言葉だけにやたら患者のご機嫌をとる姿勢には注意も必要だ。

名声に惑わされるな。“学医は匙が回らぬ”の意味

 医者の名声や学者医者に惑わされるな――という手厳しい言葉もある。江戸時代の庶民感情として、諸藩の大名や富豪の商人の家に取り入り、名をあげた医者に診てもらうことを名誉とした。現代ではさながら、大物政治家、財界人、芸能人といった診療を担当し、それをいたずらに患者集めの材料に使うことや、患者側もまたそういった知名度のある医者に対する警告だ。

「大名や大富豪の無礼さをなんとも思わず、奴隷のように仕える医者に、大切な病人を任せるのは軽率ではなかろうか」。

 こういった知名度の真贋を見極める目を失ってはならない。かつて“学医は匙(さじ)が回らぬ”という言葉があった。学医とは学問的に優れた医者を指し、匙というのは薬を調合する匙のことで、匙が回らないことは診察がヘタだということを指す。現代風に言いかえれば、優れた医学研究論文を書いて評価された研究医が、必ずしも優れた臨床家ではない。高名な大学教授が、必ずしも優れた臨床家ではないという意味にも通じる。

 患者やその家族は、そういった知名度に惑わされることなく、良い医者を見分ける目を養うことが必要だということを警告している。
「病家須知」には、この項に続いて看護の心得やストレスへの対処などもある(以下次号)

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