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心の制服

2009/05/06
医療コラムニスト 21世紀医療フォーラム取材班シニアライター 田野井真緒

 沖縄に知己が多く、1年の3分の1くらいは沖縄にいる私の友人は、那覇市にいるときは、ときどき「沖縄タイム」を使う。ある日、友人を含めて数人で国際通りの一角で待ち合わせた。「旨いもんでも食べて泡盛を飲もう」という約束である。待ち合わせた1人が小一時間も遅れてやってきた。「遅いじゃないか」。私は内心そう思ったが、誰も文句を言わない。「沖縄タイムなんだよ」。友人が教えてくれた。

 仕事では誉められないけれど、遊びの約束タイムはあってないようなもの。「沖縄タイム」は身勝手なルールだと思う者がいるかもしれないが、「急がなくても泡盛は飲めるのだから、怒ることもない」と、沖縄の人は考える。「だから、約束した時間に家を出て30分くらい遅れても誰もとがめたりしないんだよ」と友人は笑う。

「いい加減」は「好い加減」と思う気持ちからゆとりが生まれる

 世の中にはいろいろなルールがあり習慣がある。社会が認めたルールもあれば自分だけの習慣もある。多少、時間に遅れても「やあ、すまなかったね」の一言で終わる人もいれば、待つのも待たせるのも許せないという人もいる。

 これは性分である。性分だから相手に合わせてルーズになるというわけにはいかない。

 自分のルールは時間を守ること。しかし、相手には違うルールがある。そう思うしかない。そう割り切れば笑って許せることもあると気づく。

 時間を守ることだけでなく、自分のルールと他人のルールを天秤にかけて、平衡を保つようなバランス感覚を養うことである。そういうバランス感覚から「ゆとり」が生まれる。

 自分が着ている心の制服とは違う他人の制服があることに気づけば、ときには心の制服を脱ぐことも必要だとわかってくる。

 昼も夜も心の制服を着たままだと、いつか体の内部環境が崩壊してしまうかもしれない。

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