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1970年代後半
介入試験に基づく初のガイドラインが登場

 1977年、初めての高血圧治療ガイドラインとして「高血圧の発見、診断および治療に関する米国合同委員会(JNC)」の第一次報告(JNC I)が発表された。当時は、拡張期血圧は収縮期血圧と相関するとの考えから拡張期血圧を高血圧管理基準として採用しており、JNC Iでは90~104mmHg,105~119 mmHg,120 mmHg以上の3区分に分けて、管理基準を示した。

主な出来事:JNC Iの発表、日本高血圧学会創設
主なガイドライン:JNC I(1977年)、WHOの軽症高血圧ガイドライン(1978年)
主な臨床研究:米国公衆衛生局研究(USPHS、1977年)
主な新薬:ピンドロール(β遮断薬)、塩酸プロプラノロール(同)

 1977年、初めての高血圧治療ガイドラインとして「高血圧の発見、診断および治療に関する米国合同委員会(JNC)」の第一次報告(JNC I)が発表された。当時は、拡張期血圧は収縮期血圧と相関するとの考えから拡張期血圧を高血圧管理基準として採用しており、JNC Iでは90~104mmHg、105~119 mmHg、120 mmHg以上の3区分に分けて、管理基準を示した。

 同ガイドラインでは降圧薬は、サイアザイド系利尿薬を第1選択薬として挙げ、効果が十分でない場合はβ遮断薬、メチルドーパ、レセルピンの追加、さらにヒドララジンの追加というように、降圧薬の段階的治療(stepped care)が提唱され、その模型図とともに全世界に広まり、降圧薬療法の標準となった。

 しかし、本態性高血圧の成因には、Na過剰摂取による体液量の増加や交感神経機能亢進、血管収縮などの複数の要因が関与しており、各因子の関与の程度は患者によって異なるとの考えから、1988年のJNC IVからは、個別治療を提案、WHO/ISHガイドラインも1989年版以降は個別治療を提唱、2000年に発表された日本高血圧学会作成のガイドラインでも、病態による降圧薬の使い分けを基準とする個別治療を支持し、画一的であった段階的治療から個別治療の時代に入ることになる。

 1年後の1978年には、世界保健機関(WHO)が軽症高血圧に限ったガイドラインを初めて出した。VA研究では、高血圧合併症の予防効果は重症と中等症においては有効であったが、軽症では有意ではなかった。しかしFramingham研究などの疫学調査では、軽症といえども結局は心血管イベントを起こす危険性が高いことが示された。また、米国公衆衛生局研究(USPHS)は前年に、降圧治療は軽症高血圧例では重大な心血管イベントを抑制しないものの、病態悪化の抑制において有効性を示すとの見解を表明していた。

 これらの結果を踏まえ、軽症高血圧の治療はグローバルな問題であり、WHOは軽症に絞って治療ガイドラインを発表したのである。その後、多くの降圧薬が開発され、臨床介入試験も相次いで行われたため、それらを踏まえて、1982年以降はWHOはISH国際高血圧学会)と合同でガイドラインを改訂している。

 同じく1978年に、日本高血圧学会が創設された。米国のCouncil for High Blood Pressure Research(HBPR Council、1947年にIrvine H. Page博士らによって設立)をお手本に、「量より質を重視した学会を目指した」(尾前照雄氏=国立循環器センター名誉総長)という。

 特別講演、シンポジウムは一切なし。演題は50題のみと厳選し、発表時間は15分(うち討論時間5分以上)。既発表のものを出題した場合は、その施設からの演題はその後受理しない方針。会場は1カ所だけにして充実した内容にすることに意を注いだ。

 降圧薬開発のトピックは、初のACE阻害薬カプトプリルが誕生したこと。昇圧系の代表としてRA(レニン・アンジオテンシン)系が研究されていたが、一方の降圧系の代表として研究されていたカルクレイン・キニン系に作用するヘビ毒の酵素から分離、合成したものである。

 わが国では1982年に承認されたが、その後、ACE阻害薬は心・腎保護作用に優れていることが臨床介入試験で証明され、降圧薬の中で大きなシェアを占めることになった。

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