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構造で薬を理解する
光学(鏡像)異性体
日経DI2015年2月号

2015/02/10

日経ドラッグインフォメーション 2015年2月号 No.208

ジェネティックラボ、薬学博士
伊藤 勝彦
1986年東京薬科大学を卒業、東京理科大学大学院修了後、吉富製薬(現田辺三菱製薬)入社。化合物の合成担当者として創薬研究に関わる。その後、ベンチャーキャピタルなどを経て、現在、病理診断のジェネティックラボ取締役。

 薬の構造を語る上で、薬効に密接に関係する立体異性体の話は避けて通れない。薬剤の活性成分の大半は、有機化合物だ。有機化合物は、炭素化合物ともいわれる通り、炭素を中心として酸素、窒素、フッ素などのハロゲン、硫黄原子などの原子が含まれる化合物の総称である。

 炭素原子は(結合できる)4つの手を持ち、それぞれにに別の原子あるいは原子団が結合すると、互いに重ね合わせられない2種類の化合物が形成される。この性質をキラリティー(chirality)といい、キラリティーがある分子をキラル化合物という。その中心にある炭素は「不斉炭素」「不斉中心」と呼ばれる。キラリティー、キラルの語源は、ギリシャ語の「手」。実際、右手と左手にはキラリティーがあり、どうやっても重ならない。キラル分子は鏡に映った関係にある1対の立体異性体を持ち、これら2つの異性体は、互いに鏡像異性体あるいは対掌体、エナンチオマー(enantiomer)と呼ばれる。鏡像異性体を意味する用語は幾つかあるが、本稿では「光学異性体」と記す。

 光学異性体はそれぞれの融点、溶解度などの物理化学的性質は同じだが、異なる点を幾つか有する。一つは旋光性だ。光学異性体の一方が時計回りに偏光面を回転させる右旋性(dextrorotatory、[+])なら、その光学異性体は反時計回りの左旋性(levorotatory、[ー])を示す。そして、その絶対値は等しい。

 旋光性は一般名にも反映され、接頭辞で右旋性を表す「デキストロ」には鎮咳薬のデキストロメトルファン臭化水素酸塩水和物(商品名メジコン他)など、左旋性を示す「レボ」には抗アレルギー薬のレボセチリジン塩酸塩(ザイザル)などがある。dは(+)、lは(ー)とも表示される。

 置換基の空間的な配置を考慮した表記には、RS表記法とDL表記法がある。RS表記法では、不斉中心に対して異なる4つの置換基を持つ場合、優先順位が一番低い原子を奥に配置し、残る3つの原子あるいは原子団の優先順位が時計回りならR体、反時計回りならS体となる。DL表記法は糖やアミノ酸においてよく用いられる。アミノ酸の表記はアラニンを基準としたもので、H、CO2H、NH2を含む面を上にしてCO2Hが奥になるように分子を配置したときに、NH2基が右側ならD体、左側ならL体となる。

生体は光学異性体を認識する

 さて本題の「光学異性体と薬(生理活性成分)」についてである。光学異性体は、旋光性の他に生体との相互作用が異なる。理由は、生体の重要な構成成分である蛋白質や糖鎖は、一方の光学異性体からできていることに起因する。アミノ酸はL体(Lアミノ酸)だけが存在し(非常に限定すればD体のアミノ酸も確認されている)、糖はD体のみがある。

 なぜ、アミノ酸や糖が片方の光学異性体に偏って存在しているのかについて、未だ明確な答えは得られていない。この問題は、種の起源に通じるところもあり、その解明はノーベル賞級の発見になるといわれている。マーティン・ガードナーの『自然界における左と右』(坪井忠二ら訳、紀伊国屋書店、1992年)など多くの良書が出版されているので、興味がある方は参考にされたい。

 受容体拮抗薬を例に考えてみよう。受容体などの蛋白質はLアミノ酸から作られる。受容体にリガンドとの結合点が3点ある場合、一方の光学異性体は受容体を阻害するために必須なXWZの3つの置換基を結合できるとする(図1のA)。その場合、もう一方の光学異性体ではX置換基のところに結合に不適なY置換基が来てしまう(図1のB)。

図1 光学(鏡像)異性体とは

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 ラセミ体とは光学異性体同士の等量混合物を指す。通常の化学合成ではラセミ体ができる。光学異性体同士は合成に必要なエネルギーが同じなので1:1の混合物となる。従って、天然物由来の薬剤を除き、化学合成で作られる通常の薬はラセミ体だ。

 ただし、有機合成化学の発展により、必要とする光学異性体だけを合成する手法が確立された。工業的にもラセミ体を2種の光学異性体に分離(光学分割)したり、特殊な方法で作り分けることができるようになった。後者の代表例が2001年のノーベル化学賞に輝いた名古屋大学名誉教授の野依良治氏による不斉水素化反応である。

 もちろん、薬としてはより活性の高い光学異性体、より副作用の少ない光学異性体が成分であることが望ましい。

 有機化学の発展に伴い、光学異性体が薬として承認され始めるのは1980年代からだ。現在では複数の薬剤が、ラセミ体から適切な光学異性体のみを活性成分とするものに切り替わった。ただし、光学異性体の一方のみが活性を持っているとか、一方のみが副作用の原因となるといった単純な話ではないので、必ずしも全ての薬剤で一方の光学異性体のみにする意味は無い。また、有効性を高めたり、副作用を低減するという観点では一方の光学異性体のみにする意味は無くても、新薬として光学異性体に切り替えられた薬剤も存在する。これは、特許切れを回避して製品寿命を延長させる製薬企業のライフサイクルマネジメント戦略の一環といえよう。

図2 医薬品に応用される主な光学異性体

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レボフロキサシン水和物

 合成抗菌薬は1962年に米国で開発されたナリジクス酸(NA)に始まる。ただし、NAはグラム陰性菌にしか抗菌作用を示さず、体内動態も悪かった。この欠点を改良した抗菌薬がニューキノロンだ。塩基性を示すピペラジンが酸性のフッ素原子と隣接して両性の性質を持つ。

 オフロキサシン(OFLX、タリビッド他)は日本発のニューキノロンで、84年9月の国内発売を皮切りに世界中で販売されている。OFLXを凌駕する化合物の探索に当たり、ラセミ体では困難との考えに基づいて光学異性体を含む多くの誘導体が合成され、最終的にはOFLXの一方の光学異性体のレボフロキサシン水和物(LVFX、クラビット他)が選択された。一般名からLVFXが左旋性(ー)を示すことが分かる。3位の立体配置はS体である。

 ステムはNA系の抗菌薬オキサシン(-oxacin)。OFLX、LVFX、LVFXの光学異性体であるDR-3345の物理化学的性質を比較した(表1)。LVFXは、OFLXより水溶解度が10倍向上し、抗菌活性は約2倍となっている。また、臨床でOFLXには不眠の副作用が確認されていたが、LVFXではその発現率は3分の1に軽減されている。

表1 オフロキサシン、レボフロキサシン水和物、DR-3345の比較

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 薬物動態・薬力学の研究によって、抗菌薬の治療効果および抗菌薬に対する耐性化は、その薬物動態と密接に関連していることが解明され、LVFXの用法・用量は「成人には1回500mgを1日1回」となっている。

エスゾピクロン

 ゾピクロン(アモバン他)は、γアミノ酪酸(GABA)受容体作動薬として中枢神経系のGABAA受容体複合体のベンゾジアゼピン結合部位に結合し、GABAによる塩化物イオンの神経細胞内への流入を促進してGABAの作用を増強、睡眠を誘発すると考えられている。ラセミ体のゾピクロンに比べて、一方の光学異性体であるエスゾピクロン(ルネスタ、一般名が示す通りS体)は、ベンゾジアゼピン結合部位とクロライドチャネル結合部位に対する結合親和性が2倍程度高い。半減期は、ゾピクロンが約4時間に対してエスゾピクロンは5時間と長くなった。

 エスゾピクロンのこれらの特徴は臨床にも適応されて、「成人にはエスゾピクロンとして1回2mgを、高齢者には1回1mgを就寝前に経口投与する」と、ゾピクロンの7.5~10mgよりも用量が少なくなった。一方で苦味はエスゾピクロンにおいても完全には改善されていない。ゾピクロンで認められている「麻酔前投薬」への適応が、エスゾピクロンにはないことに留意する必要がある。

エスシタロプラムシュウ酸塩

 シタロプラム(国内未承認)は、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)である。ヒト5HTトランスポーターに対する結合親和性を示す阻害定数Ki値は、ラセミ体であるシタロプラムが7.6nmol/mLであるのに対して、光学異性体であるエスシタロプラムシュウ酸塩(レクサプロ、一般名が示す通りS体)は3.9nmol/mLと2倍程度高い。海外の健常男性にエスシタロプラム10mgまたはシタロプラム20mgを1日1回10日間反復経口投与し、最終回投与後6 および54時間に5HTトランスポーターの占有率を算出したところ、有意にエスシタロプラムの占有率が高かったと報告されている。

●薬の薀蓄●

光学異性体以外の立体異性体 シス-トランス異性体
 立体異性体は光学異性体以外にもあり、薬の活性に影響する場合がある。一例がエストロゲン受容体に対しエストロゲンと競合的に拮抗するタモキシフェンクエン酸塩(ノルバデックス他)。Z(トランス)体、E(シス)体の立体異性体が存在し、Z体のみがエストロゲンの分子に類似しており、抗エストロゲン活性を有する。

 Z体、E体という表記は、二重結合を挟むシス-トランス異性体に対するIUPACの推奨する命名法だ。二重結合は通常条件下では回転できないため、二重結合に接する原子への置換基の配置によって立体異性体が生じる場合がある。二重結合に接する原子の原子番号が大きいほど、接する原子が同じ場合は次の原子の原子番号が大きいほど優先順位が高くなり、優先順位が高い原子を含む置換基同士が同じ側ならZ体(ドイツ語のzusammen「一緒に」)、反対側ならE体(entgegen「逆に」)となる。

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