DI Onlineのロゴ画像

薬理のコトバ
STAP細胞
日経DI2014年3月号

2014/03/10

日経ドラッグインフォメーション 2014年3月号 No.197

講師:枝川 義邦
帝京平成大学薬学部教授。1969年東京都生まれ。98年東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。博士(薬学)、薬剤師。07年に早稲田大学ビジネススクール修了。経営学修士(MBA)。名古屋大学、日本大学、早稲田大学を経て、12年4月より現職。専門はミクロ薬理学で、記憶や学習などに関わる神経ネットワーク活動の解明を目指す研究者。著書に『身近なクスリの効くしくみ』(技術評論社、2010)など。愛称はエディ。

 春の訪れを待たずして、にわかに生命科学界が賑わっている。これまでの常識を覆す研究結果が報告されたのだ。身体をつくる体細胞が、簡単な刺激を与えると未分化の状態に戻るという。その名も「STAP細胞」。今後の再生医療を支える存在になりそうだとの期待を集めるものだ。

 近い将来、再生医療が本格化する日に備え、STAP細胞などの多能性細胞とは何かを知っておきたいところ。今回は、気になるキーワードのSTAP細胞についてまとめた。

ストレスで細胞を初期化

 ヒトを含む哺乳類では、受精卵がどんどん分裂することで様々な体細胞に変わっていく。この過程を「分化」と呼んでいる。

 細胞の分化は、列車が走るように進んでいく。途中にある分岐点でのポイント切り替えの重任は、適材適所に配置された様々な生体因子に委ねられている。この列車は一度走り出したら後戻りはできないものとされ、体内の多様な機能を担うための細胞に行き着くところ、実に200種以上にもなる。目的の駅に着き、役目を終えた列車は、細胞をその駅で降ろす。分化が終わった細胞は、そこでの役割を記憶し、専心しながら働くというわけだ。

 細胞の初期化(リプログラミング)とは、走り出した列車を引き戻し、もう一度始発駅からスタートさせること。そんなことは起きないと、これまでは信じられてきた。

 日本の誉れと評される人工多能性幹細胞(iPS細胞)は、この常識を覆した先達だ。遺伝子導入により細胞が初期化され未分化の状態になり得ることを示したのが生物の発生の仕組みに迫るとして、2012年にノーベル賞が与えられた。これは、元々の体細胞の中ではつくられない部品を用いる“人為的”な操作だ。

 しかし今回のSTAP細胞は、何かの部品を加えることではなく、細胞の外から刺激(ストレス)を与えることで、細胞自体の「初期化能力」を目覚めさせたものだ。植物細胞では刺激による初期化が認められてきたが、動物細胞では「ありえない」といわれていた。

 細胞に与えたストレスは、pH5.7の酸性条件下に25分間置くというもの。この酸性溶液はオレンジジュースよりも弱い酸なので、飲んでも何ということはないが、一つひとつばらばらにされた裸の細胞にとっては強烈な刺激なのだ。

 初期化された細胞は、多様な細胞に分化する能力を持つ「多能性細胞」となる。刺激による多能性細胞への初期化、すなわち「刺激惹起性多能性獲得」は、英名のStimulus-Triggered Acquisition of Pluripotencyの頭文字から「STAP」、生じた多能性細胞は「STAP細胞」と名付けられた。

 STAP現象の実証に挑戦したのは、理化学研究所の小保方晴子博士を中心とする共同研究グループ。実験では、多能性細胞に特有の遺伝子「Oct4」が発現するかどうかで初期化の判断をした。免疫に関わるリンパ球を酸性溶液で処理した中に出現したOct4陽性細胞は、実験によりT細胞に一旦分化した細胞が初期化されたものだということが分かった。そして、このOct4陽性細胞は生殖細胞を含む多様な体細胞へ分化する能力を持つことも分かり、得られた細胞が確かに多能性を有することが明らかにされていった。

行くも止まるも自由自在

 STAP細胞をつくり出した意味は、これまでの細胞分化や動物発生に関する常識を覆し、細胞の分化制御に関する新しい原理の存在を明らかにしたこと。細胞の分化状態の記憶を自由に消したり、書き換えたりできる技術で細胞を操作していくという発想は、再生医学以外に老化や免疫などの研究分野にも新しい方法論を提供する可能性がある。

 そして、この研究の注目すべき点は、これまでの多能性細胞のように新たに外部から何かを付け足すのではなく、外部刺激によって細胞自身のシステムを再起動してみせたところにある。遺伝子導入などに続く新たな初期化・多能性技術として発展する可能性を示したのは大きな成果だ。今後のiPS細胞、そして胚性幹細胞(ES細胞)の研究にも大きなフィードバックを与えてくれることになるだろう。

 ちなみに、STAP細胞は、いわゆる「幹細胞」とは一線を画した存在だ。幹細胞とは「多様な細胞に成り代わる能力(分化能)」だけでなく「自分と同じ細胞をつくり出す能力(自己複製能)」を持つことが条件。この条件をiPS細胞もES細胞もクリアしているが、STAP細胞は試験管の中で増殖することがほとんどない。

 しかし、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)を培養液に加えることでSTAP細胞も増殖を開始、自己複製するようになる。面白いことに、この条件では胎盤などの細胞になる能力が失われてしまう。逆にFgf4という蛋白質に曝露すると、胎盤や羊膜にしか変化できなくなるという。全ての体細胞になる線路だけでなく、増殖に進む線路や、ある特定の臓器になる線路を選ぶスイッチもあるようだ。

 STAPはスタートとストップを織り交ぜたネーミングにも見える。行くも止まるも自由自在─そんなイメージがしっくりくる。更なる研究を積み重ねて細胞の運命を操りながら、新しい医学分野を進展させていってもらいたい。

  • 1
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

この記事を読んでいる人におすすめ