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薬剤師10大トピックス
トピックス1:医薬分業が定着
日経DI2013年11月号

2013/11/10

日経ドラッグインフォメーション 2013年11月号 No.193

 2012年度の医薬分業率は全国平均で66.1%。今や「医療機関で処方箋を受け取り、薬局で調剤してもらう」という流れは、国民にとって当たり前のこととなった。この分業が定着していく過程に常に存在したのが、国による経済誘導。そして折に触れ、医師と薬剤師は激しい攻防を繰り返してきた。日経DIに掲載された分業関連の記事をベースに、歴史を振り返ってみよう。


 「薬剤師100年の悲願」とも呼ばれる医薬分業。日本で院外処方箋の発行が本格的に始まったのは、1974年の「分業元年」からだ。同年、2度の診療報酬改定で処方箋料は6点から10点、さらに50点へと引き上げられ、この経済誘導が契機となった。

 本誌08年4月号に掲載した創刊10周年記念特集「これでいいのか!?ニッポンの医薬分業」では、悲願が達成されるまでの100年間に繰り広げられた薬剤師と医師との攻防を紹介した。

 その始まりは1874年。明治政府が、医事衛生制度を規定する「医制」を制定し、「医師たる者自ら薬をひさぐことを禁ず、医師は処方書を病家に付与し、相当の診療料を受くべし」と、医師による調剤を禁じた。1889年には「薬品営業並薬品取扱規則」(薬律)が制定された。現在の薬事法につながるこの法令では、薬剤師を「薬局を開設し、医師の処方箋により薬剤を調合するもの」と規定した。

 だが、薬律には付則として「医師は自ら診療する患者の処方に限り、自宅において薬剤を調合し販売授与することを得」との例外規定が記載される。この付則の削除に向けて、薬剤師側に立つ議員から何度も薬律改正案が帝国議会に出されたが、可決されることはなかった。

医薬分業法を巡り対立

 事態が大きく動いたのは、戦後間もない1949年。来日した米国薬剤師協会使節団が「法律上、教育上およびその他の手段により、医薬分業の早期実現のために、可能なるあらゆる努力がなされるべきである」との勧告を連合国総司令部(GHQ)に対して行ったのだ。結果、51年には、55年からの分業開始を盛り込んだ医師法・歯科医師法・薬事法改正案(いわゆる医薬分業法)が成立した。

 これに激しく抵抗したのが日本医師会で、54年11月に全国医師大会を開き、「強制分業に絶対反対」と決議。その4日後、日本薬剤師会は医薬分業実施期成全国薬剤師総決起大会を開催し、完全分業の実施を求める決議を行った。同大会には「正しいくすりは薬剤師え」などと書かれたプラカードを持った約8000人の薬剤師が集結し、気勢を上げたという。

 しかし翌55年、医系議員らにより医薬分業法改正案が国会に提出され、可決。この改正により医師法第22条に例外規定が記載され、医師による調剤が再び、事実上容認されたのだ。

2008年4月号

創刊10周年記念特集「これでいいのか!?ニッポンの医薬分業」に掲載した、医薬分業実施期成全国薬剤師総決起大会の様子を伝える写真。1954年11月29日、同大会には全国から8000人の薬剤師が集まり気勢を上げた。

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写真提供:共同通信社

今に連なる分業バッシング

 74年の処方箋料引き上げにより院外処方箋の発行は徐々に広まったが、90年代を迎えても医薬分業率は10%台にとどまっていた。事態を再び動かしたのはやはり経済誘導だ。91年に既収載医薬品の薬価改定における薬価算定方式が全面的に見直され、92年から薬価差益が段階的に縮小。この誘導を受けて、92年には14.0%だった医薬分業率は95年に20.3%、98年に30.5%と、急激に伸長した。ここで沸き起こったのが医師による“分業バッシング”だ。

 日本医師会総合政策研究機構(日医総研)は2000年4月、「日本の医薬分業は本当に患者のためになっているのか」と題する論文をウェブサイトで公開。この論文は、現行の医薬分業が「国民に新たな負担を課す割には、メリットは少ない」として、病院にテナント形式で出店する“門内薬局”の制度化を提案するものだった(本誌00年6月号「“分業バッシング”に立ち向かう」)。翌01年6月にも、日医総研は医薬分業推進政策の見直しを求める報告書「医薬分業政策の検討」を公表。本誌01年8月号では、この報告書を巡って日医と日薬が激しい議論を繰り広げたことを報じた。

 日医総研による文書の公表といえば、今年5月に「医師と薬局および薬剤師の業務についての一考察」、7月に「院外処方の評価に関する研究」と題したワーキングペーパーが相次いで公表されたことが記憶に新しい。同じ図式による分業批判は、10年以上前から起こっていたのだ。

2001年8月号

今から12年前にも、日本医師会総合政策研究機構(日医総研)の報告書を巡って日本医師会と日本薬剤師会が激突していた。01年8月号のトピックスでは、トップニュースで両者のやりとりを伝えた。

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批判の矛先は薬剤師に

 以前と現在との違いは、批判の矛先が国(医薬分業推進政策)から薬局・薬剤師へとシフトしていることだ。

 医薬分業が急速に進む過程で、市中に出された処方箋の受け皿となったのは、当初目指された「面分業」ではなく「点分業」形態の薬局。国民が医療機関の付属物と見まがいかねない形態の薬局が目立つようになった。

 それにもかかわらず、近隣の医師との交流は希薄だ。12年11月に本誌が『日経メディカルオンライン』の会員医師を対象に行った調査では、分業のメリットとしてお薬手帳による患者への情報提供や服薬指導、処方内容のチェックなどが高く評価された一方で、薬剤師との交流は「電話による疑義照会」にほぼ限定されており、日常診療で頼りになる薬剤師が「1人もいない」との回答が3割に上った(13年1月号「医師から見た薬剤師」)。「医療者として、指示待ちではなく、もっと積極的に多職種連携の一翼を担ってほしい」など、薬剤師に意識改革を促す意見も寄せられた。

 こうした批判を真摯に受け止め、医療者として他の職種と顔の見える関係をつくっていくことが、分業への批判を緩和する処方箋となりそうだ。

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