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Interview
どんぐり工房代表 菅野彊氏
日経DI2013年10月号

2013/10/10

日経ドラッグインフォメーション 2013年10月号 No.192

 9月24日に日経DI薬剤師「心得」帳シリーズの『どんぐり式薬局副作用学のススメ 「まず疑え」から始めよ』を上梓した。薬剤師向けの講演会などで引っ張りだこの菅野氏が、薬剤師としての考え方、職業観や人生観などをたっぷり記した一冊だ。その菅野氏に、薬剤師哲学の一端を聞いた。(聞き手は本誌編集長、橋本宗明)

1941年岩手県生まれ。67年東京薬科大学卒業。製薬会社勤務、薬局経営、病院勤務、医薬品卸情報室勤務を経て99年にどんぐり工房を設立。近著に『実践副作用学』(医薬ジャーナル社)、『患者とくすりがみえる薬局薬物動態学』(南山堂)、『薬物動態を推理する55Question』(南江堂)などがある。

──これまでに10冊ぐらいの書籍を執筆し、講演会の講師も多く務めていますが、他の薬剤師に向けて経験やノウハウを伝達することが重要だと考えて取り組んでいるのでしょうか。

菅野 そうです。われわれは医療現場や薬局にいるわけですが、それだけではその現場にいる患者にしか力を発揮できないのではないかとずっと考えてきました。それで、結局はみんなで使える方法論を作って広めるのが一番だと考えるようになって、本を書いたり講演を引き受けたりするようになりました。

 「知識」は自分で学べばよいのだけれど、「方法論」は思い付くまでが大変だと思うんです。だったら普遍的な方法論を考えて、全体のものにしていくとよいのではないか。そうした流れの中から、「副作用機序別分類」(副作用を臓器別ではなく、薬理作用、薬物毒性、薬物過敏症という3つの機序別に分類して対応を考える方法)や「薬物動態学の処方提案への応用」などを考えて提案してきたのです。

──方法論を考案して、普及させていくことが大事だと考えるようになったのは、何かきっかけがあるのですか。

菅野 もう亡くなられたのですが、ある人の影響を大きく受けました。その人は岩手県庁に勤務しながら岩手県平泉町で町づくり運動のリーダーをしておられた。当時、私は平泉町にあった実家の薬局を引き継いだ頃で、その人のところに出入りするうちに、弁証法的な考え方とか、ヘーゲルやマルクスの勉強をし、全体を見ようということを考えるようになった。30歳ごろのことです。

 その中で、自分なりの理想社会を思い描き、それを実現するには社会の在り方がきちっとしていなければだめだと考えるようになりました。それで薬局をたたんで病院の薬剤部に入りました。

 ただし、実際には世の中を直そうとか、改革しようといった大げさなことを考えたわけではありません。薬剤師として何をしようかと考えたときに、1人の薬剤師だけではなく薬剤師全体が変わるべきだと思ったのです。それで、病院に入ってすぐに岩手県病院薬剤師会の中に勉強会組織を作り、色々な仲間をつくっていきました。

──医療の世界では“均てん化”といわれますが、全体でレベルアップすべきという意識があったのですね。

菅野 医療には公的な側面がありますから。薬剤師というプロ集団の役割はそこにあると思うのです。薬剤師に限らず他の医療職もそうだと思いますが、その存在意義を考えると、方法論を構築してそれを普及させていくことが重要になります。

 それで『検査値の読み方』という本を書きました。当時は薬剤師が患者の検査値を見られるのは、病院でだけだったと思います。でも患者の状態を知るにはデータを理解する必要があります。それから、今でいうTDM(治療薬物モニタリング)、血中濃度を測る仕事をやる中で、薬物動態がどうしても必要になってくる。それで勉強をするわけですが、その際に1人ではなく集団で学ぶことを常に心掛けてきた。

──それまでの病院内の仕事のやり方を変えようとして、他の薬剤師に抵抗されるようなことはなかったのですか。

菅野 全然なかったですね。「みんなで進もう」「俺はできないけど、お前はできるからやってくれ」という感じで、集団で考えてやってきた。そういうものが受け入れられる素地があったと思うのです。私が引っ張ったというのではなく、医療や薬学の進歩がその方向にあった。だから抵抗なくというより、みんなで盛り上がってやってきた感じです。

──10年近く病院に勤めた後、医薬品卸に入って、医薬品副作用のデータベースの構築に携わられました。

菅野 当時はまだインターネットがなく、大量検索ができるような時代が来るとも思っていませんでした。ただ、副作用が大きな問題であることは分かっていたので、みんなで使える医薬品データベースのようなツールを作ろうという発想で取り組みました。それを医薬品卸の社長が応援してくれたのです。

──医薬品卸を退職して、どんぐり工房を立ち上げたのはどうしてですか。

菅野 医薬品卸というのは、患者が来るわけではなく、得意先の薬剤師を通じて現場を知ったり、データベースを提供したりする中間的な存在です。卸の情報室には10年ちょっと在籍しましたが、データベースの事業もしっかりやっていけるようになったので、もう一度現場に戻りたいと思っていました。

 ちょうどその頃に、製薬企業のバイアスがかからない情報提供をやろうという話が仲間の間で持ち上がって、1999年に仲間と一緒にどんぐり工房を立ち上げました。最初は医薬品の情報提供をすることだけ考えていたのですが、その後、色々な経緯から幾つか薬局を経営するようになりました。

 だから、どんぐり工房には、本を書いたり研修会を催したりしている部門と、調剤薬局を展開している部門とがあって、役割分担をしています。調剤薬局には必然的に色々なノウハウがたまりますし、その中で問題点も見つかる。それを基に方法論を考えて、それを広げるという流れになっていくわけです。

──これから薬剤師を巡る環境はどのようになっていくと考えていますか。

菅野 薬剤師の将来に対しては楽観論と悲観論があって、このところ悲観論が強まっているようですが、私は全然そんなことはないと考えています。

 というのは薬剤師の技術は、医師の技術とも看護師の技術とも異なります。だから医師や看護師だけがいる社会よりも、薬剤師が一緒にいる社会の方が間違いなく進歩的なはずです。薬剤師が関与することで、副作用なく、必要な薬を必要なだけ使えるのですから。

 それなのに、何をそう悲観的になるのかと思うんです。われわれは進歩の中にいるのだから、どうやってその歯車を回せばいいかを考えればよいのです。6年制の教育を受けた薬剤師が増えてくると、その歯車を回す力も大きくなっていく。そうなると世の中は今よりも進歩していく。だからもっと自信を持ってやってほしいと思っています。

──最後に、今回の書籍を通じて、読者に一番伝えたいことは何でしょうか。

菅野 物事は変化するということです。ちょっときざな言い方をすると、「変化しない物が社会にあるとすれば、『物事が変化する』という哲学だけだ」と。

 世の中は変わっていくし、変わることができる。しかも変化のスピードは速くなっている。だから、そこには希望もあると思うのです。昔だったら50年かかったことが、10年でできるようになるかもしれない。世の中が変わっていく中で何をすべきかを、自分で考えて探っていくことが大事だと思います。

インタビューを終えて

 穏やかな表情ながら、言葉の端々に熱い思いがにじみ、“伝道師”という言葉がぴったり来そうです。薬局、病院、医薬品卸と立場を変えつつ信念を持って突き進んできた菅野氏には、薬剤師の明るい未来につながる道が見えているのでしょう。

 その菅野氏による『どんぐり式薬局副作用学のススメ』は、薬剤師としての考え方などを書き下ろした第1部と、「副作用機序別分類」などの方法論をまとめた第2部の2部構成です。詳しくは、どうぞ本書を手に取ってご覧ください。(橋本)

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