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がん診療の現場から

2019/12/20

「二つの命」の話を知っていますか?

 2019年9月6日から日本がんサポーティブケア学会(JASCC)の学術集会が青森市で開催されました。この学会は、多様ながんの症状に対して、医師ばかりでなく、看護師、薬剤師、ソーシャルワーカー、臨床心理士など多様な医療関係者がチームで支えていこうという壮大な思想と世界観で成り立っている学会です。2日目の午後に学術集会の会長講演があり、弘前大学の佐藤温教授から「二つの命」と題してお話がありました。

 その内容は、「命」には二つの種類があり、一つは生命体としての生命。そして、もう一つは、患者さんが生きた証、周りの人々との関係のことでした。つまりは生命体としての命は閉じたとしても、周囲との関わりとしての命は続いていくという話でした。

 がん患者さんを診ているときに症状ばかりにとらわれすぎて、患者さんが生きている意味を考えることを忘れてしまってはいないかと、自分を戒めることがしばしばあります。私は、患者さんが今までどうやって生きてこられたのか、そして何を望んでいるのか、さらにはたまた何を残しておかれたいのかを、いつも考えに入れて診察するべきだと常々思っています。すなわち「心擦」です。

 もちろん、生命体としての命を延長するために、ガイドラインに沿って抗がん薬を次々と続けて行くことも大事です。しかし、抗がん薬を次から次へと続けるということは負担が大きく、患者さん本人は、ひそかにやめたいと思っていることがあるかも知れません。さらに言えば、やめたいと思っていても言い出せずにいる場合もあるのかも知れません。そういう患者さんには、抗がん薬を休む期間を作る、いわゆるChem-holidayの考え方を提案することもあります。

T氏が残した言葉「生き切った」と続く命

 以前に「T氏からくる定期便で尋ねられることは?」の記事で、化学療法後に膵臓がんの手術をして再燃した医師の患者さん、T氏のことを紹介しました。そのT氏がついに9月に亡くなりました。壮絶ながんとの闘いの末でした。

 T氏から来ていた定期的にくるメールは、細々と自分の症状について相談するようなものではありませんでした。自然を愛でる旅での感動を伝えつつ、いつも先の仕事についての相談でした。「仕事の依頼が多く来ているけど、受けても良いか」「来年の講演を頼まれたけど受けても良いか」といったものばかりでした。彼としては、日々不安を抱えてじっとしているより、学会などに出て自らの意見を述べて、批判を受けるほうがワクワクする、自分を磨きたいと考えているようでした。そして自然と向き合って生きている実感を味わい、そのことで病と折り合いをつけて、さらに自らを向上させたいと願う彼の心、情熱と向上心がひしひしと伝わってきたものです。その彼の最後の言葉が「生き切った」というものだったと聞いて胸が詰まりました。

 T氏がなくなったのはJASCC開催のすぐ後でしたので、「二つの命」の話を思い出しました。

 彼は、数々の学会発表、論文作成、後輩の指導、病理の診断、そして趣味の旅行、さすが病理診断医とうならせる写真撮影などを行いました。自らの生きざまを、家族はもちろんのこと、後輩、先輩を問わずに知らしめてきました。そして後輩のために彼の素晴らしい業績が集約された医学専門書を共著しました。T氏は、息も苦しい中でお礼の言葉まで添えて、お世話になった人たちにサインしてその専門書を贈呈しました。生きた証を残しました。T氏は、手術や10種以上の抗がん薬投与を繰り返し受け、5年生存しました。彼からの最後のメールは「5年生存しました」でした。

 これこそ「二つの命」ではないかと感じました。確かにT氏の生命としての「命」は終焉しました。しかし、これまでに彼がなしてきたことは、残された人々に引き継がれました。これは彼自身が生きていることと同じだと感じました。つまり周りの人々とのつながりのなかで「命」は続きます。私も彼の残してくれた思い出や世界観、人生観、そして人間性そのものに思いをはせています。

 「二つの命」は、途切れることなく続き、尊厳の世界が続くものだと思いました。私は、これからの治療で、常に「二つの命」があることを肝に銘じながらがんと闘おうとしています。


坂田 優(さかた ゆう)氏
三沢市立三沢病院事業管理者

1973年弘前大学医学部卒、1992年弘前大学医学部第一内科助教授、1999年三沢市立三沢病院院長、2013年より現職。
効果的だが専門的な知識や技能が必要とされるがんの薬剤が登場し始めた1980年代から、消化器がんを中心に種々の固形がんに対する化学療法の実践、新規抗がん剤の臨床試験を積極的に行い、日本のがん化学療法の進化を支えてきた。
第83回日本胃癌学会会長、日本癌治療学会理事、弘前大学医学部臨床教授なども歴任。
「坂田 優はがん化学療法がまだ一般的でない1970年代からoncologyを志し実践していました。悪魔の手先薬屋の手先と言われていました」

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